——矛盾がないことは十分条件ではない
初めて会う人と、これからうまくつき合おうと思ったならば、その人がこちらがどう出た時にどう反応するかを見て、その反応が自分にとって快いものであるように、自分の出方を調節するように心がけなければならない。相手から見てもまったく同じことで、つまりお互いにお互いの言動が相手にとって快いものであるようにふるまわなければならない。いいかえれぱ、互いの行動とそれらが行きちがわない、または矛盾し合わないようにきめるのである。
互いに影響を及ぼし合いながら運動する沢山の粒子がある場合に、一つ一つの粒子がどのようにふるまうか、ということをきめる方程式をたてるさいに、これと同じ「無矛盾の方法」を用いることがよくある。すなわち、一つ一つの粒子のふるまいをまず仮定し、それが互いにどういう影響を与えあってその結果互いのどういうふるまいをひき起こすか、ということをしらべ、その結果がはじめに仮定したふるまいにちょうどならなければならない、ということを方程式で表すのである。これを解けば、互いに矛盾しない一つ一つの粒子の行動が求まることになる。
無矛盾の方法は理論物理学においてよく使われる有用な方法であるが、いつも正しい結果を与えるとは限らない。論理的には矛盾がなくても、前提に誤りがあれば正しい答えは当然得られないし、方程式をたてるときにどういう要因を考慮に入れ、どういう要因を小さいとして切り捨てるかによっても答えは変わってきて、切り捨て方を誤ればやはり正しい答えは得られない。人間の場合でも、関係者の間では意気投合して矛盾がなくても、協力して悪事を働いたり、無意識のうちに他人に迷惑を及ぼしたりすることがあるようなものである。
無矛盾であることは理論が正しいための必要条件ではあるが、決して十分条件ではないのである。極めて当然のことであるにもかかわらず、このことはしばしば忘れられがちであるから、用心に越したことはない。