——第一印象がまず肝心
私が学生時代に指導を受けた故今堀克巳先生は、専門は音響学であったが、視野が広く、また本来実験家であったが、雑多な現象を統一的な立場から考察しようとする傾向の強い、むしろ理論家肌の方であった。指導者としては自由放任型で、直接こういうことをやってみよ、と具体的に指示されたことはほとんどなく、ずいぶん気ままな勉強をさせていただいたものである。
先生がなくなられてから、私はだんだんその専門からはなれていって、結局まったく思いもよらなかった分野を専門とするようになってしまった。しかし、時々静かに考えてみると、対象こそちがうけれども、それをとり扱う方法や、仕事をするときの発想には、先生の影響が驚くほど強く残っていることに気がついて愕然《がくぜん》とするのである。
物体の運動は、それが古典力学のニュートンの方程式にしたがうにせよ、量子力学のシュレーディンガー方程式にしたがうにせよ、最初の時刻におけるその状態を与えれば、途中でよそから妨害が入らないかぎり、遠い未来に至るまで、ピタリときまる。運動をきめる最初の状態のことを初期条件とよぶ。物体の状態が時間がたつにつれてどう変わってゆくかは、初期条件が与えられると、それによって完全にきまってしまうのである。
人間の行動は物体のそれよりもはるかに複雑であり、外界によって大きく左右されるし、また自分の行動が外界に与える効果を観測しながらそれによって行動を制御するという自動制御的な要素が強いから、ある時刻における初期条件によってその後の行動がきまってしまうということはない。しかしものの考え方などは若い時に与えられた初期条件によって大体きまってしまうことが多いように思われる。人に対する印象なども、初期条件で大体きまってしまって、あとからそれを変えるのは容易でない。
右に向かって走り出すような初期条件を与えておいて、あとから無理やりに向きを変えさせようとするような無駄なことを、われわれは案外しているのではないだろうか。