——地図、天気図、状態図
昔、山のヒュッテに泊ると、山小屋日誌に必ずといっていいほど、「定理一、二つの峰の間には少なくとも一つの鞍部が存在する。定理二、……」という類の「数学」が書かれているのを発見したものだ。山の地図の等高線を眺めながら、退屈まぎれにひねり出したものにちがいない。こういうことを山で考えた人の中には、のちにホンモノの数学者になった人がいるかもしれない。実際、数学の一分科である位相幾何学の本をひもとくと、「ドーナツ面上の地図には山頂が少なくとも一個、窪地が少なくとも一個、また峠が少なくとも二個存在する」などという大変楽しい定理が出てくるのである。
地形図では山の高さの等しい点を連ねた曲線である等高線(コンター)によって、土地の高さという量の、地面という二次元の面上での分布が、表現されているのであるが、分布する量は別に土地の高さでなくてよいし、二次元の面も地表面に限ったことはない。勝手な量の、勝手な面の上における分布が、コンターによって表現できるはずである。天気図はよく知られた例で、地表面の上の気圧の分布をコンターで表したものである。物理でも、気体の状態の変化を、圧力と体積を二つの座標軸にとった平面の上の温度一定のコンターで表した「状態図」や、結晶の中の電子のエネルギーの分布を、エネルギー一定のコンターで描き表した図などがよく用いられる。
さきに述べた位相幾何学の定理を、これらの分布図にあてはめられないだろうか、と考えたくなるのは自然のなりゆきであろう。いつもうまくゆくとは限らないが、たとえば電子の場合には、この定理から電子のふるまいに関して重要な情報をひき出すことが実際にできるのである。また結晶の振動に対しても、同様な応用ができることが知られている。
一見、山小屋のつれづれの産物と同じような、数学者のあそびの産物にしかすぎないように見える定理にも、ちゃんと使い道があるというわけである。