——ネジまわし習熟のすすめ
物理の法則や数学の約束ごとを表現するのに、ネジをまわしたときにそれが進む方向がよくひきあいに出される。回転している物体は角運動量というものをもつが、この角運動量の向きは、物体の回転と同じようにネジをまわしたときにそれの進む向きである、というように。
ところが、最近は、こういう表現の仕方ではわからない若い人たちが増えてきているらしい。昔は二十にもなってドライバーを扱った経験がないというような人間は居なかったがなあ、というのが私にこの話をしてくれたある同僚教授のなげきであった。
ネジまわしをいじくるなどということは、教育ママにとってはもちろん、あるいは受験勉強に専念している若い人たち自身にとってもどうでもよいつまらないことなのであろう。それかあらぬか、物理学科に入って来た早々、基本的な訓練としてやらなければならない初歩的な物理実験のテクニックの習得や、物理に出てくる数学的な問題の解き方の練習を、つまらないことと感じて学習の意欲を失いかける学生が最近は現れるようになった。
初歩的な実験や演習がそれほど面白いものでないことはたしかである。物理の研究、あるいは研究とまで行かなくても物理を学ぶということはもっとずっと面白い、息をはずませるようなことであるはずなのに、という学生の気持ちはわからないでもない。しかし物理の面白さというものは、上っつらの面白さではない。一見つまらなく見えるテクニックを十分にこなし、それを駆使することによってはじめてその醍醐味を味わえるものである。それはあたかも日曜大工の妙味を十分に味わうには、ドライバーの使い方にぜひ習熟しなければならないようなものであろう。
何かをつまらないといってけなす人は、つまらないものを面白くする能力のない人だという寺田寅彦の言葉は、味わうべき言葉だと思うのである。
物理に限らず、「つまらないこと」を大切にして、精緻な生活や仕事を積み重ねるのが文化というものではあるまいか。