——研究方法も流行する
私がロンドンに滞在していたのは、ちょうどミニスカートがはやり始めた頃で、日本からいきなり本場にとびこんだ眼にはすこぶる印象的であった。それから二年後の一九六九年の暮れあたりから、札幌のお嬢さんたちのミニも、ようやく私が居た当時のロンドンと同じレベルになった。ミニにとって、ロンドンからの道は遠かった、というところであろう。
学界でも、ある特定の研究のスタイルが世界的に流行することがある。昭和の初期に、「グルッペンペスト」が理論物理学界で猖獗《しようけつ》をきわめたことがあった。「グルッペ」というのはドイツ語で「群」を意味する。群論という数学の理論が物理現象の解析に非常に役立つというので、理論物理学者が争ってこれを使い出したのをひやかしてグルッペンペストと呼んだのである。群論を勉強しようとする者の必読書であったドイツ語の本の表紙がいささか毒々しい黄色であったことも、ペストという名を奉られるひとつの理由であったかもしれない。
戦後はグリーン関数という関数がいろいろな物理量を計算するのに便利であることが知られて、この方法が世界を風靡《ふうび》するようになった。こちらは黄色でなく緑だからペストほど悪性という感じはしないが、その代わり流行の範囲が広いから、グリーン風邪とでも呼んだらよいだろうか。
群論もグリーン関数も理論物理の道具として極めて有用であり、それだからこそ流行したのだが、しかし何《いず》れも万能ではないし、特に後者は使い方を誤るととんでもない結論を導くことがあるから、無批判に使うのは危険である。
ミニの美しさがそれをよそおう人いかんによるのと同じく単にはやっているというだけの理由で自分の柄に合わない研究方法を無理に使ってみても、よい仕事はできない。さらにまた、次の流行を作るのはカッコよく流行に乗っている人たちではなくて、それに巻きこまれずに我が道をコツコツと行く研究者である、というのが一般であろう。