——ニュートンのリンゴの木
ロンドン南郊の、リッチモンド、ブシーという二つの広大な公園とテムズの清流に囲まれたところに、英国国立物理学研究所がある。その中庭の一角に「ニュートンのリンゴの木」があった。
といってもニュートンが万有引力を発見したときに眺めていたというそのリンゴではなく、それから根分けしたものだということだったが、見学の客が来ると必ずそれを見せることになっていた。
一九六七年の春に私はこの研究所を訪れたが、当時頭を悩ましていた数理物理のある問題の解決のヒントを滞在中に得て、いくつかの論文をまとめることができた。間接的ながら、またまことにささやかながら、幸いにしてニュートンにあやかることができたわけである。
問題解決のヒントがひらめくためには、ここで持つことを許された他のあらゆる義務から解放された自由な時間と、のびのびとした雰囲気とがあずかって力があったが、その上に、ひと月ほどの間昼夜一つの問題に没頭し呻吟することが必要であった。さらに、その時にちょうどその問題をかかえていたのが幸運であった。リンゴの御利益《ごりやく》があったとすればこの点においてであろう。
独創的な仕事が生まれるためには、自由な時間とゆとりのある雰囲気が不可欠だが、当然のことながら、一つの物事への全精力の集中がその上に必要である。しかし自由な時間があり、それをフルに使って苦闘しても、いつもリンゴの女神が微笑みかけるとは限らない。研究というものはリスクに満ちたものであり、独創的な仕事をめざすならば、長時間の目立たぬ努力とリスクという、二つの十字架を背負わなければならないのである。
しかもこの十字架は、みずから進んで背負うのだから、当然その重さを訴える相手は自分自身しかない。リスクを嫌って他人に手をひいてもらいたがったり、つまずくと他人のせいにしたがるようでは、リンゴはほほえむどころか、はじめからソッポを向くであろう。