——危険をおかす心
高所恐怖症だという人はよくいるが、炭坑にいたことのある知人の話によると、低所恐怖ということもあるらしい。タテ坑を上下するエレベーターのうち、荷物用のものには天井も壁もない。それに乗ると、壁がないから不安なのはもちろん、天井がないのもまた不安で、上を見るのがおそろしいというわけである。
似たような話で、水平坑の中で石炭を掘っていた人が斜坑に移ると、しばらくの間不安で仕事の能率があがらないのはまあ当然だが、逆に斜坑の中で働いていた人が水平坑に移った場合にも、今度は頭が始終押さえつけられているという感じがして、やはり不安で仕方がないのだそうである。
炭坑よりもはるかに複雑でしかもうす気味のわるい洞穴をさぐる洞穴学という学問がある。大変面白い学問なのだが、私にやれといわれたら尻込みせざるを得ない。体力の点は別としても、生来臆病な私には、低所恐怖、水平恐怖、傾斜恐怖などというもろもろの恐怖はもちろん、先がどうなっているか皆目わからないという不安にうちかって、狭いまっ暗な穴にもぐり、手さぐりでどんどん先へ進むという勇気はありそうもないから。
しかしながら考えてみると、物理学でも事情はまったく同じことなのである。少なくとも、よく開拓されてかなり遠くまで見通しがきき、研究方法も整備された分野に安住せず、そこから脱出して、洞穴学と同じく物理学でもその本来の目的である未知の物や事の発見をなしとげようというのならば、肉体的不安こそあまりないかもしれないが、精神的な不安は同様につきまとうはずであって、これを乗りこえる冒険心を持つことが、やはり研究者として必要な資質の一つになる。
確実に先の見通しがつかないと仕事に手をつけなかったり、足場を一〇〇パーセント固めてからでなければ先へ進めないというのでは、研究というものはできない。無鉄砲は困りものだが、ある程度はあまり考えすぎないでとにかく手をつけてみることや、危険をおかすという態度も、研究には欠かせないのである。