——発表することも研究のうち
ファラデーといえば、電磁誘導の現象を発見して、電磁気学の基本法則であるマックスウェルの方程式が導かれる基礎を作った十九世紀の大物理学者であることはよく知られている。電磁現象のほか、電気化学や磁気光学でも彼は大きな仕事を残しており、ファラデーの電気分解の法則、磁気光学におけるファラデー効果など、彼の名を冠した法則や現象は数多い。
「ファラデーの公式」というのはしかし聞いたことがない、と首をかしげる向きが多いかもしれない。これは物理現象でも物理法則でもなく、研究とは仕事をし、それをしめくくり、そして発表することであるという彼の考えのことなのである。
研究というものはある疑問を解決しても、あとからあとから新しい問題が出てきて、本当に完結することはない。しかしそれだからといって、興味にかられて際限なく研究を続けるだけでは、苦心して得られた貴重な結果も他人に知られることなしに埋もれるばかりで、せっかくの研究も自己満足に終わって、社会的に役立たずにしてしまう。またそのことはさておくとしても、記録なり文章なりにまとめるという作業は、自分の考えを系統だてて筋の通ったものにするのに、思いのほか役にたつものである。したがって適当な段階でしめくくって論文として発表することは研究者の仕事の不可欠な一部であり、発表しないということは研究しないということに等しいということを彼はいったのであった。
今ではこれは、研究を業とする者の当然の職業倫理となっている。しかし現在でも、研究に没頭するあまり、または筆不精のために、論文を書く労力を惜しむ研究者が間々あるから、この「公式」を時折り思い出すのも無意義ではあるまい。
ところで最近は、研究者の数が非常に増えて生存競争がはげしくなり、研究が十分に熟さないままやたらに書きまくって論文の数を競うという逆の弊害が生じている。これに迷わされずに自分のペースを守ることもまた容易でない。何事も中庸を得るのは難しいものである。