——プライドと科学者気取り
諸物価高騰の折柄だが、理髪代の値上がりは最もこたえるものの一つである。若い女性が黒髪をなびかせてわれわれ男性の眼をたのしませてくれるのはありがたいが、私などにとっては髪の毛が伸びることなどまったく余計なことで、従って理髪代もまったくムダな支出にすぎないから、値上げをひとしおぼやきたくもなろうというものである。
かてて加えて、理髪店で自分にピッタリした髪型を作ってくれることは絶無といってよい。私は理髪店を出るや否や最寄りの洗面所にとびこんで、いつもの自分の頭に直してしまうことにしている。しかし、せっかくていねいに仕上げた髪を台なしにされるのは、理髪師にしてみればさぞいやなことにちがいない。自分が仕上げた髪をくずされるのを極度にきらい、腕ききだが芸術家気取りの理髪師に、いつも前に仕上げた頭をメチャクチャにして現れる客が、遂に剃刀《かみそり》で殺されてしまうという筋の小説さえあるくらいだから。
自分の仕事にプライドをもつのは結構だが、それがゆきすぎて芸術家気取りになると困ったことになるのである。それと同じく、科学者気取りというのも困りものである。
指揮者の岩城宏之氏の、「我々は要するに芸人なのであり、サーカスや寄席《よせ》で仕事をしている人たちとクラシック音楽で働いているこっちとの間にどんなへだたりも感じたくない。こちらのやった仕事の内容について人様が感動してくれて、我々のことを芸術家といってくれるのはありがたいけれど、人からいわれる前に自分で芸術家だと思っている『ゲイジュツカ』で世の中一ぱいのような気がする」という言葉に私はまったく同感だ。岩城氏の言葉の中の「芸術家」を「科学者」に、「クラシック音楽」を「物理」におきかえさえすれば、この言葉はそのまま科学研究者に対して通用するものになる。ただ「芸人」や「サーカス」を何に置きかえたらよいか、ちょっと適切な文句が思いあたらないが。