——文科と物理屋の相似性
理科の人は、よいことだと思うととにかくやってみる、まずければやり直せばよい、といった柔軟な考え方をする。これに対して文科の人はとかく原則にこだわり、議論で原則ができるとそれでエネルギーを使い果たして実行する興味を失ってしまう、とある本に書いてあった。
なるほどそうかもしれない。ところが私の感じでは、この文章は「文科」を「物理」におきかえ、「理科」を「物理をのぞく理科」に置きかえるとそっくりそのまま通用するように思われるから面白い。物理屋もその他の自然科学者も人さまざまだから、いちがいにいえないことはいうまでもないが、私がふだん接触している範囲ではこういう傾向が明らかにみとめられる。
自然科学の中では物理が最も数学に近くて、文科的学問と縁が遠そうだが、文科の人間と物理屋がものの考え方において相似た傾向を示すのはどういうわけだろうか。
物理は自然科学の中では最も比較的簡単な原理や法則が広い範囲に通用する分科である。それに慣れているために物理屋はとかく複雑な人間関係についてもある原則をたててそれで割り切りたがるくせがある。理屈っぽくて、筋を通したがるが、原則の議論にエネルギーをとられて実務が一向に進まないという傾向が強い。これに対して文科系の学問は原理や法則が立ちにくい複雑な人間性の諸相から何とか原則を見出そうとするのが仕事であるために、原則指向性が強く、結果として物理屋と同じく理論倒れになりがちなのではあるまいか。
かくいう私も自分ではそれほど原則にこだわらないつもりだが、物理以外の人から見ると、そうは見えないらしい。また自分でも、専門のちがう方々と話をしていて、発想のちがいを感じることがよくある。いやそれどころか、文科系の人との方が、理科系の専門のちがう人よりも、話のウマが合うという気がすることさえある。物理と文科の類似についてこんな屁理屈をこねたのも、物理屋のクセの一つのあらわれかもしれない。