——忙しいイギリス人
英国の理論物理学者で、結晶格子の力学の大きな仕事をしたD博士といっしょにロンドンで研究していた頃、ある日招かれて研究所から博士の家へ国鉄電車で行ったことがあった。
ロンドンの国電は、古ぼけてはいるが深々としたシートが気持ちよく、ラッシュアワーでも必ず座れるほど空いているのに支線でも頻繁に運転されていて、なかなかサービスがよい。滞在中私はしばしばその乗り心地と、車窓を流れるいかにもロンドンらしい風景と、乗りかえの間にホームですごすひとときを、楽しんだものである。ところがD博士は、途中の乗りかえ駅で八分ほど待たされると、今日は妻が車を使っているので電車で来たらたちまちこれだ、としきりにぼやきはじめた。十分や十五分どうということはないでしょう、待っている間あたりの風景や人物をボンヤリ眺めているのもなかなか楽しいものですよ、といったら、とてもそんな気持ちは理解できない、多分あなたの性格はオレのとまったくちがっているのだろう、とケゲンな顔をしていた。
二日間の週末を公園のベンチで半日でも一日でも日向ぼっこを楽しむ悠揚せまらぬ英国人の一人であるはずの彼に向かって、あくせくと忙しいことを美徳とし、遊ぶことの下手な日本人が無為を礼讃しているのはいささか奇妙な光景であったにちがいない。
D博士がイギリス人ばなれのしたハイペースの仕事ぶりですぐれた業績をあげることができたのには、能率を尊び、ムダをきらう人柄があずかって力があったと思われる。しかし博士がその実力を認められて異常に早く昇進した結果、まだ若いのに研究より行政の方にエネルギーをとられてしまうようになったのは残念なことである。
駅で一時間くらい汽車を待つことは一向に苦にならない私も、日本に居るとついいつの間にかセカセカと歩いてしまい、時々ハッと気がついて、何のためにオレはこう急ぐのだろうと自問することがある。そしてそのたびに、ロンドンでの生活とD博士の面影とをこもごも思い出すのである。