——連名の順序に苦労する
近頃は数人またはかなり多人数の研究者が協同して一つの研究を行ういわゆる協同研究が盛んになり、連名で書かれる論文が増えてきた。
このようなときよく問題になるのは、その仕事に対する寄与の程度に甲乙をつけ難い場合、名前の順序をどうするかということである。不公平にならないように、でたらめに名前を並べておき、これをあらゆる順序に並べかえて、すべての並べ方の数で割れ、ということを示す記号をその前につけたらどうか、などという迷(?)案がマジメに議論されることさえあるぐらいである。これはさすがにまだ実行されたという話を聞かないが、協同研究者の名前の頭文字をたくみに綴りあわせて、あたかも一人の人間が書いたかのような形にした論文はすでに実在する。
協同研究をすれば、一人々々がバラバラに仕事をするよりも一般に能率が上がることはたしかである。とくに実験的研究では装置が大規模になってきたため、一人では到底仕事ができない場合もしばしばあるから、これはかなりの程度必然的でもある。
しかし協同研究ということがあまりにうたわれすぎて、多人数がいっしょになってやりさえすればよい研究ができる、あるいはもっと極端に、協同研究というものが無条件に個人的研究よりもよいことだ、と考える風潮が生じるとすれば、これは手放しで賛美するわけにはいかない。一人々々の自発的意志から出発して、自然発生的に協同研究が生まれてきた場合にはじめて、それが実り多いものになるのだと思うのである。
それはさておき、一つの協同研究に対する参加者の寄与がまったく甲乙つけ難いということは、実際にはあり得ないことではないだろうか。本当の独創性は必ず核心になるアイディアを生み出した誰か一人に帰すべきもので、他の人はその協力者にすぎない、というのが大方の実情ではないだろうか。大勢で活発な、そして批判的な議論をすることが研究を促進させることはたしかだが、創造ということは結局は個人の孤独な営みなのだから。