——怠けているときが働いているとき
ある実験科学者に、いったい理論家というのはどういうふうな生活をしているのか? ときかれて返事に窮したことがある。
理論家も人さまざまである。また同じ理論物理屋にも個々の実験事実をよく説明する理論を立てて、その現象の本質をつきとめることに情熱をもつ人もいるし、個々の実験事実と直接的には必ずしもつながらないが、いろんな現象の間の共通点を見出して一般的な理論を構築することに生きがいを感じる人もいる。また物理の理論の論理的な構造に最大の興味を見出す人もいる、という具合に千差万別である。
しかし何《いず》れにしても、日常の実験家との接触や理論家同士の討論、あるいは論文を通じて国内や国外の他の研究者から情報を得ることによって問題を見出し、それを解決するために四苦八苦するという点では、まったく同じである。
要するに議論したり、論文を読んだり、考えたり、計算したり、そう大して変わったことをやっているわけではない。
ただわれわれの仕事でちょっと困るのは、はたからみて一番怠けているように見える時間が、実は一番働いている時間だということである。というのは、上の四つの中でも、考えるという仕事が最も重要だからである。考えることに集中するためには、他のすべてのことから自分を解放し、また楽な姿勢になって、余分な緊張から自由にならなければならないから、どうしても両ひじをついて眼をつぶったり、ソファーにねころがったりすることになる。読んだり議論したり計算したりするのももちろん強度の精神力の集中を必要とするが、どちらかといえば前の二つは考えるための準備行動、あとの一つは考えたことのあと始末にすぎないのである。
しかし実験家も理論家も、仕事の目的は本来同じなのだから、その思考活動のあり方も同じはずで、高々理論家が計算する代わりに実験家は実験をするというだけのちがいであるはずだと思うのだが。