——物理に生きる人々
あやふやな記憶なので、間違っていたらお許し願いたいが、細菌学者エーリッヒは、時たま珍しく推理小説を拾い読みしていることがあったほかは、研究以外のことには一切興味を示さなかったという話を読んだことがある。エーリッヒに限らず、昔から研究の鬼といわれ、逸話珍談を数多く残した学者は枚挙にいとまがない。
それほど極端ではないにしても、私の周辺にも、全生活をあげて物理に打ちこんでいる物理の鬼というべき方々が沢山おられる。
北大出身のすぐれた理論物理学者であるK博士は時々私の研究室にフラリと顔を出されるが、茶のみ話を始めても二分とたたないうちに物理の話になってしまう。御自身の研究の話に熱中されることはもちろん、畠ちがいの私の研究の話にも極めて熱心に耳を傾け、まだ目鼻もロクについていないあやふやな話でも、いったん口をすべらせたら最後、それはどういうことか、とどこまでもつっこんでくいさがられる。夏休みに骨休めのために帰札された時でさえも、研究室のゼミに、食事を一回ぬいてもききのがさじという意気ごみで欠かさず出てこられるのには、怠けものの私など、ただただ感嘆してしまう。
統計力学の大家であるM教授とは専門が近いのでよくおめにかかるが、人の顔をみたとたんに今こんなことを考えているのだがどう思うか、と議論をふきかけられるか、でなければ今どんなことをやっているか、と答えさせずにはおかぬという勢いで尋ねられるか、どちらかである。いっしょに食事をしている間も物理の話がとぎれないのには辟易《へきえき》すると同時に、よくこうも物理の鬼になれるものかな、と畏敬おくあたわずという気持ちになる。
一日二十四時間、全霊をあげて物理に集中できるとはなんと幸せなことだろうと羨ましい。私も物理が面白いからやっているのにはちがいないし、打ちこんでいるときは結構打ちこんでいるのだが、そのためには物理とはまったく別の世界に遊ぶ時間がどうしても要る、というのが実情である。