——眼のあたりに見える面白さ
眼の底までしみわたるかと思われるあざやかな日本海の群青と、海岸の濃い松の緑を背にして、段丘のふちにへばりつくように細長く伸びた丹後の間人《たいざ》町は、日曜というのに道ゆく人もまばらだったが、ガチャンガチャンという機《はた》の音が、町じゅうにいたるところからあふれていて、ああ、ここは丹後ちりめんの町だったなあ、と思い起こさせた。
その音を聞きながら町を歩いているうちに、ふと機を織っているところを見たくなって、とある家の戸を叩いてたのんでみた。はじめは突然のちん入者におどろいて、警戒するようなまなざしだったその家の主婦も、話しているうちに頬をほころばせて、奥の工場に案内してくれた。
耳を聾する騒音をたてながらものものしく動くいかつい機械から、繊細この上ないような綾模様が見事に織り出されてくるそのコントラストは、少なからず心のおどる見ものであった。糸を制御するのに、パンチカードを大きくごつくしたような、穴の沢山あいた厚紙が使われているのを見て、おや電子計算機と同じじゃないかと思ったが、それにもかかわらず電子計算機を見るよりはるかに面白かった。
電子計算機は織機よりもはるかに複雑な仕事を行っているはずだが、制御も演算ももっぱら電子がやってしまうので、最も肝心なメカニズムが眼に見えないために、見ても一向に面白くないのであろう。計算機の専門家にとってそれが面白いのは、電子の動きが彼には「見える」からであって、一般人にとっては、それよりはるかに単純であっても、眼《ま》のあたりに見えるメカニズムの方が興奮をよぶということらしい。電子計算機の前にじっと坐ってそれを監視している人と、織機のまわりで忙しくたち働いている人と、どちらがより生き甲斐を感じるか、というのもわかるような気がしたのである。
電気機関車やディーゼル機関車よりもSLすなわち蒸気機関車の方に人気があるのも、多分これと同じことなのであろう。