——論文の洪水をどうさばく?
最近になってようやくやや下火になったとはいえ、物理学の論文の生産量の急増のために、論文をのせる専門雑誌が年々加速度的に厚くなってゆく傾向は、まだまだここ当分止みそうもない。雑誌を置くスペースがなくなったり、重さで床がぬけそうだという悲鳴をあげて、個人で購読するのをやめた人も多いし、大学でも図書室の収容能力のゆとりが急激になくなりつつあって、大問題になっている。
これはしかしスペースだけの問題だから、何とか解決できる見込みがないわけではない。これに対して、こうして増えてゆく論文を読み、それらに含まれている情報を消化して学問の進歩におくれないようにするにはどうしたらよいか、というなやみの方は論文の増加に比例して読む時間が増えるわけでないから、解決がはるかに困難な問題である。論文の過剰生産という「情報公害」にどう対処するかが深刻な話題になるのも無理からぬことである。
もっとも、論文の数が増えたといっても、自分の仕事にとって重要な意味をもち、真に読みごたえのある論文の数は、実はそれほど増えているわけではない。そのほかの論文は要旨だけ、あるいは表題だけに眼を通して、ああこういうこともやられているのだな、という程度に頭の片隅に止めておけば十分なことが多い。
論文の洪水の中から、自分にとって意味のあるものをかぎつけることができさえすれば、公害などといって騒ぎたてることもないと思われる。研究は流行にとびつくことでも、人のマネをすることでも、外国での研究を輸入することでもないのだから、自分自身の内発的な探求欲に根ざしたしっかりした問題意識をもっていれば、いたずらに外から与えられる情報にキョロキョロする必要はないであろう。
と大きなことを言ってみたが、これはしかし、他人の論文を読むことに至って不熱心な私の、不勉強のいいわけにすぎないのかもしれない。