——コンピュータと聖徳太子
一九七〇年に開店した北大の大型電子計算機センターは、はじめのうちこそすいていたが、今はなかなか繁昌しているようである。
電子計算機の偉力は、何といっても電子がやってくれる計算のスピードの並み外れた速さである。これに比べると、計算の命令やデータをととのえる仕事のスピードは、人間の手や普通の機械的なメカニズムにたよるために、桁ちがいにのろい。計算センターがフル操業していても、忙しいのは人間や機械的メカニズムだけであって、電子はヒマをもてあましているのが普通である。
このムダを省くには、電子のアキ時間を見すごさずに、スキさえあればいくつものちがった仕事を割りこませればよい。これがいわゆるタイム・シェアリングである。人間にもアキ時間があるとそれをムダに過ごさず、一つの仕事からパッと別の仕事に頭を切りかえて、有効に使うことのうまい人がいるが、計算機にそれをやらせるわけである。
このいわば「直列的」なタイム・シェアリングのほかに、二つ以上の仕事を同時に平行して遂行するいわぱ並列的なタイム・シェアリングというものもありそうである。さしずめ聖徳太子などは並列的なシェアリングの達人ということになろう。
処理すべき情報の密度が低いと、われわれ凡人でも似たようなことのできることがある。たとえば同じような議論がはてしなく堂々めぐりする小田原評定的な会議などは、別の仕事をやりながらでも結構つとまることが多い。
しかしよく考えると、これも同時に二つの仕事をしているのではなくて、ながら族的に会議を開いていて、必要なときにはすばやく会議の方に頭を切りかえてそちらの情報を処理し、それがすむとまた別の仕事の情報処理にたちもどるという直列的な仕事の切りかえをしているに過ぎないようである。聖徳太子は多分この切りかえを多種類の情報にわたって極めて敏速に行ったのであろう。