——将棋のプロと物理のプロ
私は将棋のシの字も知らないので、まったくまた聞きの話にすぎないのだが、将棋の名人というのは沢山の手を読むことがうまいのではなくて、むしろ少ししか手を読まないことのうまい人が名人になるのだそうである。
アマチュアのレベルでは、一手ごとに沢山の手を読むことができて、相手より常によい手を打つことのできる人が強いが、それでは疲れてしまって、とても長時間の対局に耐えることはできない。プロのレベルになると、誰が読んでも大してちがいが生じない時には手をほとんど読まずにエネルギーを温存し、ちょっとの打ち方のちがいが先へ行って大差を生じる急所急所でだけ手を読むことのできる人が結局は勝つというわけである。
この話をきいてハタと手を打った。というのは理論物理の研究でも似たようなことがあるからである。かけ出しのうちはできるだけ沢山の本や論文を綿密に読みこなして、基礎的な知識や計算技術を身につけ、それを駆使するウデをみがくことが必要である。だが、ある程度仕事ができるようになった段階で、さらに独創的な研究をしようとすると、読まなければならない——あるいは読まなければならないかのように見える文献の数もケタちがいに多くなる。しかし他方、研究のために使えるエネルギーや時間は年とともに減ってくるから、あまり沢山の文献をこまかく読んでいるとそれだけで時間がなくなってしまう、ということになりがちである。
それはさておいても、独創性の発揮にはがむしゃらにやるということが多少とも必要であって、あまりに沢山の他人の仕事を知りすぎるとかえって独創性がためられてしまうということもある。だから、むしろやたらに読まずに急所だけを押さえることが必要になってくるのである。
最近のような、莫大な量の本や論文が全世界で生産され、それが洪水のように押しよせてくるいわゆる情報公害の時代が続くと、「読まない」技術がますます重要になってくるであろう。