——マックスウェルの魚の眼
「マックスウェルの魚の眼」というものがある。
水という屈折率の大きい媒質の中で、網膜上にうまく像ができる、という事実を説明するためには、魚の眼のレンズの屈折率は一様でなく、場所的に変化していると考えなければならない。そのモデルの一つとして、電磁気学の基礎を築いたばかりでなく、物理学のあらゆる分野で偉大な仕事を残した大物理学者マックスウェルが考えたのが、この「魚の眼」である。
現実の魚の眼のモデルとしては簡単すぎるが、もしこの眼が無限に大きいとすれば、その中のどの点もやはりその中のどこかの点の像になるという面白い性質をもっているので、今でも幾何光学の例題としてよく持ち出される。
水の屈折率が大きいために、水の中から魚が見る景色は、地上の我々が見る景色とは大分ちがったものになる。ものの本によく出てくる、池のまわりの建物や樹木が、全部真中に向かって倒れかかるように傾斜して写っている歪んだ写真がそれである。このような「魚眼図」がとれるように作られたレンズが「魚眼レンズ」で、マックスウェルの魚の眼とはまったく別ものだが、魚の眼の作用を模したという意味では似たものである。
それはさておき、学問がいちじるしく専門に分化した今日では、マックスウェルのような行くところ可ならざるはなしという幅の広い学者はめったにいなくなってしまった。大方の研究者は狭い専門の池の中から、魚よろしく世の中をかいまみているにすぎない。
この短文を連載していたコラムの名前は「魚眼図」であった。私ももちろん池の中の魚の一匹だから、もしコラムの名が「鳥瞰図」ででもあったならば、決して筆をとらなかったにちがいない。
魚眼図とはいみじくも名づけたり、とたびごとに感嘆しながら、この名タイトルについついひきずられて、延々と書き続けてしまったわけなのである。