——物理とピアノ
もうふた昔も前のことだが、小さな集まりで、ある女流ピアニストの演奏を聴いたことがあった。
中休みの雑談の折、ふと口がすべって、私も多少ピアノをたしなむともらしたら、彼女がこう言ったものである。「物理学者のピアノってどんなんでしょうね。きっと、ここは一秒間に幾つ音があるから音と音の間は何分の一秒……って計算してその通り弾くんでしょうね。」これには参って二の句がつげなかったことを未だに覚えている。
今ではこれほど極端なこともないかもしれないが、とかく物理学者などというものは四角四面、一日中机に向かってシカメツラをしながらわけのわからぬ計算をしているか、または実験装置とニラメッコをしている人種と思われがちなことは、大して変わっていないようである。
物理学者といえどもカスミを食っているわけではなく、普通の人間である。アイスホッケーならプロも一目おくというスポーツマンがいるかと思うと、落語に眼がなくて、落語に関する本なら一冊もらさず買い集めているという粋人もいる。バラ作りなら全道一という園芸学の大家がいると思うと、飛行機と飛行機の本には眼がないという御仁がいる、といった具合に、なみ以上の人間味をもった人がけっこう多い。こういうのは例外としても、大部分はもちろん、常識豊かでユーモアを解する方々である。
しかしながら、もともとが浮き世ばなれした商売であるから、大学などに残って長年研究生活を続け、話が容易に通じる狭い仲間うちだけと接触していると、自分ではそのつもりでなくても、ものの考え方が一面的になり、社会的な行動において首をかしげられるようになる危険性もまたあることは否めない。
筆者のピアノはもとより素人の下手の横好きだから、ブロークンなのは仕方がないが、彼女のいうところの、コンピュータに弾かせた方がよいような、「物理学者のピアノ」ではないことを願っている。