——コピーのように美しいホンモノ?
絶景に接したとき、まるで絵のように美しいという嘆声をわれわれはよく発する。しかし美しいのは風景それ自身であって、絵はそれを手本にしたいわば写しなのだから、これはホンモノがコピーに似ているといってほめるようなもので、本末転倒なのではないかと時々首をかしげていた。
飛行機から下界を見下ろすとき、ウアー地図とおんなじだと嘆声をあげるのも同じことのように見えるが、実は大分ちがうようである。
地上にいるときはわれわれは自分のまわりのごく一部分しか見ることができず、極めて近視眼的にしかものを見ていない。だが、空から見下ろすと、一望のもとに非常に広い範囲がほぼ同じスケールで見渡され、また些末なものが見えなくなって本質的な様相だけがぬき出されるために、地表をぐんと客観化して眺めることになる。一方地図というものは、地表をありのままに描写したものではなく、こまかいものは省略し、重要な地物だけを抽出して描いたものである。空からみた地表が地図そっくりだと感心するのは、ふだんは見られないでいる地表の客観的な姿を発見し、地図の客観性とひき比べてそれを確認するよろこびの表現なのだと思われる。
物理の実験をやってみて、なるほど自然は物理学の法則通りにできていると感嘆するのも、あるがままの自然から余分な因子を取り去って、それを支配している根本法則を純粋な形でぬき出すことができたよろこびにほかならないから、やはり向じことである。
さて、絵画というものも、考えてみると、決して自然のコピーではなし、自然界がその奥底に秘めている美を画家がその鋭い感受性によってえぐり出したものにほかならない。してみると、絶景を見て絵のようだと嘆じるのは、少しも本末転倒ではなく、すぐれた風景に接して、画家には及ばずとも自分も自然の美を発見することができたというよろこびの表現なのであろう。