——美女となった科学のはしため
女中の子お高くとまるようになりもとの主人をかえりみはせず
これは数理物理学者である東北大学の桂重俊教授が北大に特別講義に来られた折、学生に示された名吟である。といっても、これを教授の使っておられた女中さんのことと解釈したのでは、せっかくの名吟もただのグチにすぎなくなる。この女中は、数学は科学のはしためであるというときのはしためを指しているのだから。
幾何学を意味する英語のジェオメトリーは「土地を測る」という意味である。幾何学がもともと土地測量という極めて実用的な目的から生まれたものであることはよく知られている。微積分学にしても、もとを正せばニュートンが物体の運動法則を記述するために考え出したもので、物理で使うために作られたのである。
ところが最近の数学はひたすらに抽象化の道を歩んだ結果、こういう実用からかけはなれ、なかなかなみの物理屋が使いこなせるものではなくなった。現在普通の理論物理屋が使っているのは、数学者から見るとはなはだ危なっかしく怪しげな「物理的数学」にすぎない。
科学のはしためがあれよあれよという間に科学の女王とよばれる絶世の美女に成長して、生みの親である技術や物理の近づきがたいものになってしまったことよ、というのが冒頭の句の意味である。
絶世の美女も結構だが、実際にわれわれ物理屋などが使いこなせる、せいぜい十人並み程度の美女をもっと作ってほしいという注文をはしためになれとはけしからぬ、と数学者の方々に叱られるかなと思いながら、おそるおそるある雑誌に書いたところ、数学のT教授に同感だといわれて胸をなで下ろしたことがある。しかしそのT教授も十人並みの美女をなかなか紹介して下さりそうもない。
やはりグチになった。桂教授の作を今一つ。
数学は学問の婢《はしため》ということのいま女中なし通じたりしや