——能動的遊びのすすめ
何年に一度か、学生の就職の世話をする役目がまわってきて、入社試験の季節になると、推薦書を書いてほしいという学生が、陸続として部屋にやってくる。大変申しわけないことだが、ふだんは一人一人をよく知るほど学生諸君と十分接触できないでいるので、その機会に卒業研究でやっている実験とか、自分で見た自分の性格とか趣味などについて、しばらく話をきくことに私はしていた。
趣味なぞは仕事に関する本人の能力や将来性とは関係のないことだといえばそれもまことにその通りだが、何等かの意味で趣味にはその人の性格や適性が反映しているはずである。したがって将来性をうらなう一つのカギになり得るという考えもまったく否定はできないであろう。日本の社会では趣味で人をおしはかるという傾向が強いが、これをいちがいにナンセンスということはできないのではなかろうか。
キッパリと二つに分けられるわけではもちろんないが、趣味には音楽鑑賞、読書、スポーツ観戦などのような、どちらかというと他人の作品または他人の行動を受動的に楽しむ傾向の強い消極的趣味と、下手ながらも自分で演奏したり競技をしたりする能動的、積極的な趣味とがあるように思われる。学生諸君と話してみると、積極的趣味の持ち主が意外に少ないのが私にはどうもものたりない。これが、もっぱらつめこむことに熱心で、能動的にある一つのことに熱中するゆとりを与えない受験偏重の教育のせいでなければ幸いなのだが、と思うのである。
もっとも、能動的なことをするエネルギーはあげて仕事に集中するというのなら、それはそれで大いに結構なことではある。が、しかし、能動的に一つのことに熱中する機会をもたずにきて、仕事ということになったとたんにそれに能動的エネルギーをそそぐことができるものかどうかはやはり疑問である。とくに創造力を要求される仕事の場合は、能動的に遊ぶことのできる能力がモノをいうのではあるまいか。