——のし歩く怪獣たち
怪獣ばやりの世の中である。まだ小学校にも行かない可愛いざかりの女の子までが、これあたしの一番好きな本よ、といって「怪獣辞典」をもってきたりすると、私などはうた幻滅を感じるのだが、近ごろの子供たちにとってはあのグロテスクなしろものたちが身近な親しみやすい存在であるらしい。
怪獣辞典に出ていない怪獣もいろいろあるようだ。勉強勉強とガミガミ小言をいう母親も「ママゴン」という愛称(?)をたてまつられているし、それの苦手な人にとっては数学も「マセマゴン」という名の怪獣に見えるらしい。
ママゴンの「ゴン」には、何でも机に向かっていさえすれば勉強しているものと安心するお人よしぶりと、ラジオが消えている方が鳴っているときよりも必ず勉強の能率があがっているものと信じこむ頭の固さに対する揶揄《やゆ》のニュアンスが感じられる。マセマゴンの「ゴン」には、むずかしくて頭痛いばかりの存在だが、使う人が使えばおそろしい威力を発揮するものに対する畏怖の念と同時に、何でもかでも数学のマナイタにのせて、微妙な人間味を切り捨てがちな風潮に対する抵抗のニュアンスが感じられる。
せまい専門領域だけに通用する難解な術語がやたらと出てきて、ちょっとちがうとまったく手に負えない本や論文を評するジャーゴンという言葉——これは流行語でなく、昔からあるレッキとした英語の単語だが——のもつニュアンスにも、これと似たところがある。
学術論文というものは、それが独創的であればあるほど、今までになかった新しい概念や方法がもりこまれている。それゆえ、それに伴って新しい術語が使われるのは、ある程度やむを得ないことなのだが、万人を対象とし、誰にでもわかりやすくあるべき演説やPR文書にまで「ガクセイウンドウヨウゴン」や「クミアイヨウゴン」がはんらんするのはどういうことなのだろうか。