——ミスに弱い能率的言葉
普通のコトバでは、単語と単語のつながり方にいろんな規則があるから、単語をデタラメに並べても、よほどの偶然にたまたまぶつからない限り意味のある文章はできない。すべての単語のあらゆる可能な順列を作ったら、その数は莫大なものになるであろうが、そのうち文章になっているのは九牛の一毛にすぎないはずである。
もし単語をまったく勝手に並べても常に意味のある文章になるようなコトバがあったならば、可能な単語の順列が全部文章になるのだから、同じ数の単語で普通のコトバに比べて恐ろしく多数の文章が作れることになる。逆に、普通のコトバと同じ数の文章を作るためには、はるかに少数の単語で間に合う。そのコトバはまことに能率のよいコトバなのである。
しかしながら、この能率のよいコトバを使う際には、言い間違いや誤植は絶対に許されない。なぜなら、すべての単語の列が意味をもつのだから、たった一つの単語を間違えただけでも、それはまったくちがった意味の文章になってしまうであろうから。また雑音のために文章の一部が聞きとれないと、その意味はまったくわからなくなってしまうにちがいない。このようなコトバは一見便利なように見えるが、実はミスや雑音に対して極端に弱く、使いものにならないのである。
普通のコトバでは少し位誤りや脱落があっても結構意味が通じるのは、続いている単語の間に強い関連があるためである。能率という点だけからはこのような関連はムダなのだが、まさにそのムダが、ミスや雑音のために文章がとんでもない意味になったり、またはまったく意味がわからなくなってしまう危険を防ぐ役割をしているのである。
それはさておいても、文章の面白さや味わいは微妙な単語のつながり方からかもし出されるのだから、ムダのまったくないコトバというものはさぞ無味乾燥なものであろう。ゆめゆめムダを軽蔑することはできないのである。