——オウルの思い出
フィンランド北部のオウル市を訪れたのは一九六七年十月のこと。ストックホルムから夜行急行列車に乗り、翌朝北極圏も間近いボーデン駅で二両編成のディーゼルカーにのりかえてから、さらに行けども行けども果てしない白樺の林の中を丸一日ゆられて、薄暮のオウル駅頭におりたのであった。
ここは北緯六五度、人口十万ほどの小さい町であるが、化学工業の中心地で、オウル大学という国立の小さい大学がある。ほんとうかどうかたしかめていないが、世界最北の大学なのだそうである。
この大学の物理学関係の研究室は、私がたずねたコスキーネン教授が主宰する数理物理学研究室のほかに、理論物理学と技術物理学の研究室が一つずつあるだけであったが、どの研究室の指導教授も三十歳台の気鋭の研究者で、清新な気分にあふれていた。技術物理学というのはテクニカルフィジックスの直訳で、実際に行われている研究は日本で物性物理学といわれているものに近かった。しかし数理物理、理論物理と並んでテクニカルフィジックスをもってきたところに、基礎を十分に重んじながら実際面とのつながりを忘れないという姿勢がうかがわれる。システム工学の研究室がテクニカルフィジックスの研究室ととなり合っているのも特徴的であった。
これらの研究室が互いに近い関係にあることはいうまでもないが、それぞれ独立の研究室であって、集まって物理学教室というようなものを作っているわけではないということだった。これはセクショナリズムを防ぐ一つのやり方であろう。
このようなゆき方にも、また学問的に決して恵まれているとはいえない北辺の地にありながら、スタッフが皆意欲にもえてよい業績をあげていることにも、深い感銘をうけたのであった。今でもスカンジナビアの地図を広げるたびに、白樺に囲まれた静かなオウルの町とコスキーネン教授の温容とがなつかしく思い出されるのである。