——イタリーと日本・類似点と相違点
列車でスイスからイタリーへ入ると、車内が急に賑やかになるばかりでなく、欧州の他の国ではめったに聞くことのないホームのアイスクリーム売りの呼び声や、拡声器からの列車の発着の案内がけたたましく聞こえてくる。
車窓の景観もガラリと変わって、線路付近に紙くずのちらかっているのが眼につき出す。沿線の雑草の生え方も、スイスでは行き届いた管理の下でつつましやかに生えているのに対して、野放図におい茂っており、風景全体がどことなく雑然として日本に似てくるのである。
スイスの鉄道は機関車も客車も精巧かつ堅実であるのと同時に実にシックで、独仏両国のよいところが見事に融合しているのに感嘆する。反対に、イタリーの車両は外板もデコボコだし、スタイルも野暮でどうもいただけない。これはどちらかというと日本と反対である。もっと困るのは時間がルーズなことで、三十分ぐらいのおくれは普通のことだし、私があるときミラノ発十三時五十五分、トリエステ着二十時の列車に乗ったところ、出発が十分ほどおくれたのはともかく、途中おくれにおくれた上、ヴェニスでは止まったきり四時間も動かず、トリエステ着が翌日の午前三時になったのにはまったくあきれてしまった。やむなく駅の待合室で明け方まで仮眠したが、外国に来てこういう経験をしようとは夢にも思わなかった。
他の分野は知らないが、物理学では、イタリー人は着想はよいが、それを発展させてまとまったものに結実させることが不得手で、功績を他の国に持って行かれることが多いといわれる。日本の物理学は、最近は事情がずい分変わったが、まだこれと似た傾向をもっている。しかしこれと反対に、よその国で生まれたアイディアを輸入してそれを精密加工することを得意とする面をもあわせもっている。
この類似点と相違点、どこか前述の類似点相違点と関係がありそうな気がする。