どういう運命のいたずらか、理論物理屋の中でもどちらかといえば数学がかったことをやるように、いつの間にかなってしまった。
学生時代には数学は嫌いではなかったにしても、それほど魅力を感じる対象ではなかった。旧制高校で習った微積分学や初等的な微分方程式論などは、人なみ程度にはこなすことができたし、練習問題もけっこう解けたはずなのだが、数学の面白さというものがピンとこなかった。これは多分、この段階ではまだ数学がもっぱら技術的意味しかもたず、数学に特有の、多くのものに共通する構造を見出すよろこびがまったく感じられなかったためであろう。
そんなわけで、その頃は数学よりも物理、いや物理よりもっと具体的でモノの手ざわりがじかに味わえるような気がする化学や、目のあたりに見えるナマナマしい現象のいぶきに直接触れることができるように思われる気象学などの方に、より興味をもっていた。
物理というのも、数学に比べれば、たしかに具体的な手ざわりがあったが、やはり何となく無臭無味の世界という感じで、つめたく近寄り難いという印象が強かった。これは実験をほとんどやらなかった当時の——今でもそうかもしれない——旧制中学・高校の物理教育のせいかもしれない。しかし、何といっても自然科学の中では抽象化の程度がきわだって強いという物理学そのものの性格が、抽象の面白さがわかるにはあまりにも未熟だった私の頭脳に訴えなかったためであろう。
一方、モノをナマの姿でとり扱うことがさらに多いのにもかかわらず、生物学や地質鉱物学などには私はまったく興味がもてなかった。それはこれらの学問が、今度は私にとってはあまりにも記述的でありすぎたからである。抽象の面白さはわからなかったけれども、あまりにも即物的すぎ、理論的な系統だてのほとんどない——あるいはないように見える——博物学的記述の羅列もまた、私の興味をひかなかったのだ。
ところが、高校を終える頃には、その化学や気象学にも何となく記述的な面が強く感じられてきたのは妙であった。そのためこれらに対する興味も索漠としてき、次第に物理学の方に強くひきつけられて、結局物理学科を志望することになってしまったのである。
といっても私の興味は、依然抽象的な理論それ自身よりも直接手ごたえのあるモノの方に向いていた。もちろん力学、電磁気学、量子力学などの基礎理論は、私なりにその論理構造を系統づけて理解することに努力し、結構熱中したのだが、学校ではもっぱら実験にエネルギーをそそいだ。
物理学科の応用数学の講義は、高校の時の微積分の講義よりもはるかに味気ないものだった。その時の担当の先生が講義不熱心で有名な方だったことにもよるが、とにかく相互に脈絡のない、断片的なテクニックの寄せ集めという印象が強く、講義を補うために自分で独習する気も、演習問題に積極的にとりくむ気もほとんど起こらなかった。
一方、数学科の純粋数学の講義もはじめのうちは聴きに行き、部分的には魅力を感じるところもないではなかった。しかし、数学というものの本質的な面白さを悟るに至らないうちに、あまりにもすき間のない論理の連鎖が息苦しくなってやめてしまった。
こうしてすっかり実験家になるつもりでいた私に別な刺激を与えたのが、音響分析の大家であった故今堀克巳教授の、「振動・波動・統計」と題する特殊講義であった。これはラプラス変換およびフーリエ変換を軸として、線型な振動・波動現象と確率過程とを統一的な立場から眺めてみようという試みであった。この考え方は今でこそ常識的なこととなっているが、当時としては非常に斬新なものであった。それより何よりも、一見種々雑多に見える事象の奥にひそんでそれらを貫いている原理をえぐり出し、それにもとづいてこれらの事象をとり扱い、理解する一貫した方法論を打ちたてようという今堀先生の情熱が、私をすっかり魅惑したのだった。
こうして最終学年には今堀先生の研究室に入れていただいたのだが、先生はすぐれた実験家であったし、私も先生の講義によって物理の理論の数学的な側面にいたく心をひかれはじめたけれども、はじめは依然として実験を続けてゆくつもりだった。しかしこの頃からようやく、自分の実験家としての資質を少しずつ疑いはじめてもいたのである。今堀研究室に入る前にやっていた分光学の実験でよい結果が得られなかったということもあったが、ここで改めて始めた高分子溶液の実験がまたあまり成功せず、いや成功不成功以前に、あまりにも稚拙な実験装置しかどうしても作れないのに、我ながら愛想が尽きてきたのである。
一方、たまたまこの頃脚光をあびていた位相差顕微鏡の理論にフーリエ変換の立場から興味をもって、少しばかり計算してみたところ、いくらか話になる結果が得られたことに気をよくして、理論もやればできそうな気がしてきたのであった。と同時に、数学を勉強しなければ、という気がむらむらと起こってきて、次第に実験の方はサボって数学の本を読むのに熱中するようになったのである。
このころ最も熱心に読んだのは、ハルモスの「有限次元のベクトル空間」と、ヒルの「汎関数解析と半群」、レヴィの「確率変数の加算の理論」、ストルの「線型代数と行列の理論」などであった。ハルモスやストルの本は数学の素人にも読みやすく書かれていて、完全に理解することができた。それに対して、ヒルとレヴィの本は私には手ごわい難物だった。しかし半年ほどの間、これらに全力をあげて、何とか曲がりなりに読み終えたのであった。
数学に夢中になったため、研究の方はしばらく停滞してしまったが、これらの本によって得た知識がいくらか役にもたって、今から考えると到底論文というにははずかしいものだったが、長期予報の理論や薄膜層中の光の伝播に関する小論を活字にすることができた。それに眼をつけられて、皮肉にも学生時代怠け放しだった応用数学(物理数学と名が変わっていたが)の講義をもたされることになった。私はとるものもとりあえず、モースとフェシュバッハの「理論物理学の方法」を読みながら、講義の原稿を作ることに、半年ほどの間集中、専念した。
何分にも急な話で、あわてて準備したので、はじめのうちは十分自分流にこなした話はできず、聴いてくれた学生諸君には気の毒なことをしたと思っている。しかしその後少しずつ整備するうちに、物理数学というものも必ずしも断片的なテクニックの集まりではなく、一貫した考え方で体系づけることができるものであり、またそうしてみるとけっこう非常に面白いものだということがわかってきた。莫大な時間を費やして数学を勉強したことは決してムダではなく、こうして物理数学の自分なりの体系を作ってゆくための基礎となったのである。
さて一方、研究の方もようやくこの頃暗中模索の域を脱することができた。テーマは主として不完全結晶の理論であったが、これに興味をもった動機は、いろんな現象の底にひそむ共通の論理構造をあばいてみたいという、本質的には数学的な欲求であった。この研究にさいしても、かつてやった数学の勉強や、物理数学の講義の経験が大いに役立ったことはいうまでもない。
学生時代にどちらかというとナマナマしいモノの方に興味があって、数学には魅力を感じなかったというのは、どうやら無理な偽装だったらしい。結局私は、個々のモノの特殊な性質をくわしくしらべる仕事よりも、雑多な現象の間の相互関係や共通点を見出すことに、もともと興味があったようである。つまり生物学や鉱物学に興味がもてなかったのと同様に、個別的なモノに関する知識の単なる集積には興味がもてないようにできていたので、今堀先生の講義が私の偽装をはいで、本来の興味をひき出してくれたらしいのである。
今でも、いや年をとるにつれてますます、個別的なモノに関する微に入り細をうがった話には、私はどうも興味がもてない。それではいけないと思いながらも、なかなかその傾向にさからえないでいる。
もっと早く気がついて、すき間のない論理の連続にへこたれずに、数学をちゃんと勉強していたら、よけいなまわり道をせずにすんだのだが、と時折り口惜しく思うことがある。しかし一方では、まわり道をしたおかげで、戦後の理論物理ブームの時代に、それに背を向けて数学に熱中するめぐりあわせとなり、ブームにまきこまれて自分を失い、大家の亜流に甘んじてしまう危険からのがれて、ささやかながら独自の仕事をすることができたのではないかという気もする。とまれ今後も、数学は私にとってハシタメであると同時に、あこがれの美女でありつづけるであろう。