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物理の風景104

时间: 2019-07-26    进入日语论坛
核心提示:弱さと規格外れと文明と ある未開民族の部落では、少年が一定の年齢に達すると、自分の背より高い石の塔を飛びこえるというテス
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 弱さと規格外れと文明と
 
 ある未開民族の部落では、少年が一定の年齢に達すると、自分の背より高い石の塔を飛びこえるというテストを受けることになっていて、それが出来ないと殺されてしまうということだ。この話をきいたときはしばらく身震いが止まらず、文明社会に生まれたことをつくづく感謝したものである。私のような貧弱な体躯の持ち主でも一人前の面をして堂々と(?)生きていることができるのは、まことにありがたいことである。
 少し前までは、喫茶店やレストランの通りに面した窓には必ずカーテンがかかっていて、食事をしているところが表から見えないようにしてあったが、最近はガラス張りの飲食店が増えてきた。後ろはガラス張り、前は一面の鏡というビュッフェさえ出現して、若い人たちにけっこうもてているそうである。
 たしか柳田国男氏が戦前に、昔の小学校では、食事時間に弁当箱を一生懸命に手で覆いかくして食べる子供が多かったが、近頃はデパートの食堂のような、見ず知らずの人間同士がおおっぴらに食事をする場所が出てきたためか、そんな風景が見られなくなった、と書いておられたのを読んだことがあるが、その傾向がさらに進んできたらしい。
 食事をしている状態というのは外敵に対して最もスキのある弱い状態の一つだが、近代になるほど、そういう弱さをさらけ出しても不安を感じないですむようになった、ということであろう。
 いずれにしても、自分の責任で生じたのではない弱さに対してひけめを感じないですむ程度が、文明をはかる一つの尺度になる、といえそうである。もしそうならば、石の塔を飛び越えることができなくても生きていることにひけめを感じないですんだり、他人の眼前でおおっぴらに食事をすることができたりする点では、日本は立派な文明国であることになる。
 だが、そのほかの点では、果たしてどうであろうか。
 大分前サザエさんの漫画に、新調のワンピースに身を包んで意気揚々と街を歩いていたサザエさんが、まったく同じ柄のワンピースを着た女性とバッタリ出会って急にしおれてしまう、というのがあった。他人とあまりちがうのを嫌い、その時々の流行の規格から外れることを極度におそれるが、かといって他人とまったく同じなのも困る、という心理を見事に揶揄《やゆ》して、思わず笑いをそそられる図であった。
 学界でも似たようなことがある。流行のテーマから著しく外れたことをやっていると、何となくとり残されたような気がして不安なので、流行に乗りながら、しかし他人とはちょっとちがったテーマをつかまえることに眼の色を変える、という風景をよくみかける。真に独創的な仕事をするためには、孤独に徹しながら、はやらないことをコツコツやることが必要な研究という仕事においてさえこういう傾向が見られるのは、日本では、体格が並みはずれて貧弱だという程度ならばともかく、規格からの外れ方のスケールがそれよりもいささか大きくなると、いかにたちまち生きにくくなるかを示しているといえよう。
 観光バスというものに私は乗ったことがない。ガイドの指図通りに右を見、左を見るのが身震いするほどいやだからだ。ガイドののべつ幕なしのおしゃべりや歌、でなければ天井から絶え間なく流れてくるラジオの饒舌をいやおうなしに聞かされるというだけの理由からも、まったく乗る気にならない。観光バスには乗りたくなければ乗らないですむが、普通の路線バスでもなくもがなの観光案内やラジオの音にヘキエキさせられることが多いのは困ったものである。乗っている間をどう過ごすか、また風景をどう味わうかは人それぞれにまかせておけばよいので、おしきせの案内や放送は迷惑である。これもまた、人間というものはガイドされたがったりラジオを聞きたがったりするもの、と思いこんでガイドされたがらない、または静けさをたのしみたい規格外れの人間を大事にしないことのあらわれであろう。
 規格外の者が生きにくい社会は、一見まとまりがよくて安定なようだが、規格の方がちょっと変わりだすと我も我もと新しい規格のバスに乗りこむから、規格を一方むきに止めどなく変化させてしまい、極端まで行かないと戻らないということになりやすく、むしろ非常に不安定なのではないかと思われる。
 規格はずれを大切にしたいものである。
 
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