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パラサイト・イブ2-11

时间: 2019-07-27    进入日语论坛
核心提示:       11「わたしたちの体の中には、たくさんの寄生虫が住んでいます」 その教授は開口一番そういった。 演者席の前
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「わたしたちの体の中には、たくさんの寄生虫が住んでいます」
 その教授は開口一番そういった。
 演者席の前には「生体機能薬学講座 石原陸男 先生」と筆で書かれた紙がぶら下がっている。白髪が半分混ざっているので五十過ぎだと思われたが、声に張りがあった。父親より若いかもしれないな、と聖美は大講義室の堅いシートに腰掛けながら思った。
 大講義室といっても一五〇席ほどしかない直方形の部屋だった。一度に三〇〇人以上の学生が講義を受ける文学部の教室に比ベれば随分と小さい。だが薬学部は一学年あたりの人数が少ないので、これだけの大きさがあれば十分なのだろう。聖美は少し後方の、段が上がったところに座り、演者席を見下ろしていた。講義室には五〇人程度しか観客が入っていなかった。後ろ姿しか見えないのでよくわからないが、そのうちの半分は若い学生だ。聖美のように他学部の学生もいるのだろうが、大半は薬学部なのだろう。ひょっとするとこの生体機能薬学講座の学生なのかもしれない。一般の聴衆は五、六十代が多かった。十代の若い人はほとんどいない。
 頬を風が撫でた。わずかに開け放たれている講義室の窓から、そよと風が入り込んでくる。葉ずれの音が漣波《さざなみ》のように寄せては返す。ガラス窓の向こうを見やると、若々しい緑が揺れ、優しい光を反射させている。
 聖美は今年、大学三年生になっていた。
 この二年間はあっという間だった。真面目に授業に出てノートを取り、吹奏楽部の活動をおこない、大学祭や定期演奏会をこなし、友達とノートを見せあって試験に臨み、部の夏季合宿やスキー旅行に行った。
「来年は就職活動かぁ」
 ふと気がつくと友達がそんな言葉を漏らすようになっていた。そのときようやく、聖美はもう後がないということを悟った。大学に入るときまで抱いていたあの不安感、自分は何をしたくてどうしてゆけばいいのか、というあの悩みをいつのまにか忘れてしまつていた。大学に入ってから考えればいいと思っていた。だがその大学生活も終わってしまうということに気づいたのだ。それなのに自分の心の中ではまだ何も纏《まと》まった考えがないということにも。
 六月半ばだというのに暑い日が続いていた。夏の日のような青嵐《せいらん》が街路樹の枝を揺らし、白いシャツの胸元をはためかせた。秋から冬にかけて曇天しか見せない空もいまは力強く晴れ渡り、直線の陽射しを舗道やビルに注いでいる。
 そんな折り、聖美が薬学部の市民講座に出向くことになったのは、文学部の友達に誘われたからだつた。聖美の大学の薬学部では、毎年六月の第二日曜日に一般市民に向けて無料の教育講演を催し、薬学についての知識の普及に努めている。その年の学部長をはじめ数人の教授が自分の講座でおこなっている研究内容を易しく説明するほか、薬用植物の基礎知識、それに薬物副作用やエイズウイルスなど近年問題になっていることがらについて解説する時間もあるらしい。校舎の裏にある広い薬用植物園も一般公開され、ちょつとしたピクニック気分も味わえる。なかなか評判がいいとは知っていたが、聖美はこれまで参加したことはなかつた。朝鮮人参茶やドクダミ茶が飲み放題だとの噂を友達が聞きつけ、一緒に行こうと聖美は誘われたのだった。
 講演会当日も藍色に抜けた空が広がるいい日和だった。聖美は友達とともにバスに乗り、朝の九時半に薬学部に着いた。聖美たちの大学は典型的な蛸足《たこあし》大学である。特に理科系の学部は町のあちこちに点在していた。医学部とその附属病院は街の北側に位置し、農学部は駅の裏側、工学部は山の一角といった具合である。薬学部は聖美たちのいる文学部の脇を抜け、一本道を五分ほど行った小高い丘の上にあった。バス停を降りると眼下に町並みが広がっていた。気のせいか頬を過ぎる風は文学部のそれより涼しかった。
 講演は一時間半ずつで午前にひとつ、午後に三つあった。その間自由に植物園の方にいつて見学できるらしい。午前の講演は十時からだった。聖美は漢方薬の原料が陳列されたロビーに張り出されている講演目録を目で追った。午前の演題は「クスリを造る -化学と薬学-」と書かれていた。どうやら医薬品開発の話らしい。ちょっとわたしには難しいかもしれないなと思いつつ、聖美はゆっくりと視線を下方へと降ろしていった。午後の部の講演内容が書かれている。「漢方薬で守るあなたの健康」「遺伝子治療とはなにか」……その題名ひとつひとつを眺めてゆく。
 そして最後の講演の題目を眼が捕らえた。
 「ミトコンドリアとの共生 -細胞社会の進化-」
 そのとき聖美の心臓が不意に、
 どくん
 と音を立てた。
 あわてて聖美は胸を押さえた。普通の鼓動ではなかった。心臓の意志とは無関係に突然襲ってきた動きだった。息が詰まり、頭の中が真っ赤に熱く染まっていった。震動の余韻が手のひらにびりびりと伝ってきた。止めようと思いきり胸元を押さえつけた。肋骨《ろつこつ》が軋《きし》んだ。胸の膨らみが潰れ、ずきずきと痛んだ。だがいくら圧迫しても心臓を抑えることはできなかった。聖美はそのままの姿勢で体の内部に耳をすましていた。こめかみの横をひとつ汗が流れていった。瞳をポスターの文字から逸らすことができなかった。
 ……息が続かなくなり、聖美は僅かに歯軋りをして、大きく息を吐いた。異様な心臓の音は遠くへと退いていってしまっていた。そしてそれに呼応するように、普段と変わらないとくとくという小さな鼓動が胸の奥から立ち上ってきて、正常に血液を流し始めるのがわかった。
 だが聖美はしばらくのあいだ動くことができなかった。もう一粒、汗がこめかみを流れた。先程の汗の軌跡をそのままなぞって落ちていった。
「どうしたの、聖美?」
 心配そうに友達が聖美の顔を覗き込んできた。聖美は首を振り、なんでもないのと答えて視線を上げた。笑みをつくろうとしたが口元が引き攣《つ》るだけに終わってしまった。
「本当になんでもないよ、会場のほうに行こう」
 聖美はそういって歩きだした。友達はまだ少し不安げな表情をしていたが、曖昧に頷いてついてきた。
 ロビーを離れる直前、聖美は振り返って先程のポスターに目をやった。なぜなのだろう、と聖美は小首を傾げた。講演会の最後の題目を見た途端、あの発作のような鼓動が起こった。明らかに普通の心臓の動きとは異なつていた。
 あれが不整脈というものなのだろうか。聖美は軽く身震いした。「ミトコンドリアとの共生」……あの奇妙な題名に、なぜ体は反応したのだろう。
 わからなかつた。だが、すでに聖美はその講演に興味を惹《ひ》かれていた。植物園巡りやお茶を飲むのは漢方薬や遺伝子治療の講演のときにしよう。必ずあの講演を聞かなくては。そう決めていた。
 そしてその講演の時間がやってきたのだ。
 聖美の友達はつい今し方帰ってしまつていた。五時から家庭教師のアルバイトがあるのだという。だが聖美はこの講演を聞き逃すことはできなかった。
 演者席の後ろにはスクリーンが用意されている。その横に大きな字で題目が書かれた垂れ幕が下がっていた。午前中に聖美の心臓が反応した「ミトコンドリアとの共生」という文字は、しかしもう聖美の鼓動を乱すことはなかった。だが、一度は反応したことは事実なのだ。それがなぜなのか聖美は確かめたかった。あの発作はなんだったのか、その答がこの講演の中に隠されているような気がした。
 石原という教授は、回虫など幾つかの寄生虫を挙げたあと、体の中にいる腸内細菌の例を出して「共生」という言葉を説明しはじめた。
「寄生虫と同じように、腸内細菌もわれわれの体の中で生活し、われわれ宿主から栄養分をもらって生きています。しかし腸内細菌はいま申しましたように、ビタミンKをつくつてくれたり、われわれにとって随分と役に立つ存在であるわけです。このように別々の生物が共同して生活し、そしてお互いがそれによって利益を受ける関係を共生といいます。腸内細菌はわれわれにとつて寄生虫ではあるものの、われわれにとってもなくてはならない存在なのです。では、われわれと共生しているのは腸内細菌だけでしょうか。もちろんそうではありません。ここでようやく今回の講演の趣旨に入るわけですが、みなさんも名前は中学の理科の時間で習ったことがあると思います、あのミトコンドリアも実はわれわれと共生する寄生虫であったことがわかってきました。もちろんミトコンドリアは虫ではありませんから寄生虫という言葉は厳密にいえばおかしいわけですが、宿主であるわれわれと共生しているという点では同じなのです。そしてこのミトコンドリアを研究することによって、われわれ自身についても様々なおもしろいことがわかってきたのです。私共の講座ではこのミトコンドリアについて研究しております。今日は、このミトコンドリアと人間の共生関係についてお話ししたいと思います」
 ここで石原教授は息をつぎ、講義室の中央で待機していたスライド映写係に合図を出した。スライドプロジェクターのファンが回り出した。それと同時に室内の電気が前方から順番に消えはじめた。係の者がスイッチを操作しているのだろう、聖美は見るともなしに振り返り後方に視線を泳がせた。
 そのとき、視野の端に見覚えのある顔が映った。
 聖美の座っている席のちょうど三列後ろにその男性は座っていた。聖美はそこに視線を止め、誰なのか確かめようと目を凝らした。だが部屋の中が暗くなつたのではっきりとその顔を認識することはできなかった。相手が聖美の視線に気づいたらしく、こちらを向いた。聖美は少し恥ずかしくなって慌てて前に向き直った。
 スクリーンには細胞の模式図が大きく映し出されていた。
「これが人間の細胞を簡単に描いたものです」石原教授は赤い光線の出るポインターを使って説明していった。「真ん中にあるのが核ですね。ここに染色体が入っていて、遺伝子情報が詰め込まれているわけです。そしてこちらに描いてある楕円形のものがミトコンドリアです。このように、外膜と内膜があり、内膜は襞《ひだ》状になっています。さて、この図はみなさんが中学校で習ったとおりの、馴染みの深い絵だと思います。ミトコンドリアはここに映っているように、こんな楕円形の形で教科書には描かれていたはずです。しかし、実際のミトコンドリアはこのような形をしているわけではありません。おそらくみなさんが想像もしていなかったような姿をしています。はい、次のスライドを映してください」
 画面が切り替わった。そのとたん、かすかに観客から驚きの声が上がった。
「これが本当のミトコンドリアの姿です」
 スクリーン一杯に細胞の姿が浮かび上がっていた。漆黒《しつこく》のバックに、菱《ひし》形のような細胞のかたちがうっすらと浮かび上がっている。その中に無数の縮れた糸のようなものが緑色に染め上げられていた。それはよくみるとどれも斜め上方に向きを揃え、今にも波打ちながら一斉に動き出しそうであった。核があると思われる中央部分はぽっかりと黒い穴が開いていた。生きている細胞のミトコンドリアを何らかの方法で染色し、顕微鏡で観察したのだということが聖美にもわかった。ひとつの細胞の中に何十、何百というミトコンドリアが詰まっている。それはビロードの襞のように美しく、これまで聖美が持っていたミトコンドリアに対するイメージを吹き飛ばすのに十分なほど壮麗な姿であった。
 どくん。
 心臓が反応した。
 どくん。
 また反応した。
 これだ。聖美は気づいた。
 心臓が反応したのはこれだったのだ。心臓はミトコンドリアに興奮していたのだ。
 しかし、なぜ?
 聖美の両眼はスクリーンに釘付《くぎづ》けになっていた。不規則な心臓の動きに呼吸が乱され、息苦しくなっていた。だが聖美は手で胸を押さえることも忘れ、巨大なミトコンドリアの姿を凝視していた。画面が切り替わっていった。染色されたミトコンドリアの写真が何枚も映し出されていった。時には緑に、時には青にその姿を染め上げたミトコンドリアは、スクリーンの上で膨らみ、振《ねじ》れ、融合し、千切《ちぎ》れ、様々にその形態を変化させていった。聖美はその姿に魅了されていった。うねうねと轟《うごめ》くその姿は大腸菌によく似ており、なるほどミトコンドリアは寄生虫なのだと聖美は無条件で納得できた。
 ミトコンドリアの中にもDNAが存在すること、それは核の中にあるDNAとは違つた種類のものであること、それがミトコンドリアが曾《かつ》て細胞に寄生したバクテリアの子孫であることを示す証拠のひとつであること……。石原教授は、遥か昔、まだ聖美たちの先祖が弱々しい単細胞だったころ、ミトコンドリアがその中に侵入し、それからずっと共生を続けてきた経緯をひとつひとつ説明していった。
「ここで細胞の進化の歴史を簡単にお話ししましょう。地球で最初に生命が現れたのは、およそ三十九億年から三十七億年前のことだったろうと考えられています。最初の生命体は、柔らかな膜の中にDNAを包んだ簡単なもので、海底火山の近くに棲《す》み、火山が出す硫化水素を栄養源にしていたのだといわれています。このころはまだ地球上には酸素がほとんどありませんでした。ところがこの生命体からシアノバクテリアという生物が進化してきました。これはいまの葉緑体の先祖で、光合成によって糖をつくり、そして酸素を吐き出すのです。このシアノバクテリアは大繁殖し、今から二十五億年前には世界中の海に広がってゆきました。それに伴って海や大気に酸素が増えてゆくのです。ところが困ったのは硫化水素を栄養としていた古いタイプのバクテリアです。このバクテリアはわれわれと違って、酸素が毒になってしまうのです。だから次第にシアノバクテリアによつて領域を狭められてゆき、火山の近くのみでひっそりと暮らすようになってしまいました。さて、ここで新しく登場するのが好気性バクテリアです。シアノバクテリアによってつくられた酸素が海に充満してゆく。この酸素を栄養源にすることはできないかと考えた生物がいたのです。それが好気性、バクテリア、すなわちミトコンドリアの先祖なのです。この。バクテリアは酸素を使うことによって、普通のバクテリアとは比ベものにならないほどのエネルギーを産生できるようになりました。エネルギーをつくれるということはどういうことか? あちこちへ動き回れるということです。このバクテリアは海の中を泳ぎ回りました。そして今から十数億年前、大事件が起こったのです。好気性バクテリアが火山の近くでほそぼそと生きていたわれわれの先祖の体の中に入つてしまったのです。おそらくはわれわれを食ベようとしていたのでしょう。しかしそのバクテリアはわれわれの先祖を食ベることはせず、中に居着いてしまったわけです。この瞬間からミトコンドリアとわれわれの共生が始まったのです」
 ミトコンドリアの電子顕微鏡写真が映し出された。画面の中央に位置するそのミトコンドリアは、中央がくびれ、いまにもふたつに分裂しようとしていた。ミトコンドリアの内部には黒い塊があり、それはくびれのところを中心にふたつに分かれようとしていた。これがミトコンドリアのDNAだと石原教授はいった。ミトコンドリアは細胞の中で分裂し、増殖をする。ミトコンドリアの中にあるDNAも複製されてそれぞれの新しいミトコンドリアの中に分配されてゆく。その姿は他のバクテリアと何ら変わるところがなかった。ミトコンドリアは生きている、わたしの体の中にも棲みついていまも分裂している、そう聖美は思った。
「こんな空想はどうでしょうか。われわれがここまで進化したのもミトコンドリアのおかげなのです。われわれの先祖はミトコンドリアと共生し、大きなエネルギーを産生することができるようになりました。好気性になり、運動する能力を発展させました。こうなると自らの力で栄養素を捕獲できるようになります。栄養素がふらふらと漂ってくるのを待つている必要はありません。自分のエネルギーを使ってそれがあるところまで行けるようになったのです。さあ、ここでわれわれの先祖は新たな能力を獲得することになります。つまり、獲物をどうやって捕らえるかを考える力です。いかに効率よく確実に栄養素を得るか、それを考えるようになってきます。反射や本能といった単純な神経系の運動から始まつて、やがて高度な思考能力を発達させてゆくのです。
 その一方、この頃ミトコンドリアだけでなくシアノバクテリアも取り込んだ細胞もいたと考えられます。彼らはどうなったでしょうか? 日光を浴びていれば自分の体の中で栄養素が作られるのですから、わざわざ獲物を捕りに行く必要はありません。従ってものを考える必要もありません。彼らがしなければならないことは、ひたすら自分の体の表面積を広げ、より多くの日光を浴びることです。もうお分かりですね、彼らは植物になってゆくのです。少し単純化しすぎたかもしれませんが、動物と植物の違いが納得できたでしょうか。われわれがいまこうやって動き、考えることができるのも、ミトコンドリアとのみ共生した結果だといえるかもしれませんね」
 生物の進化の概略を巨木の姿に模して描いた図を指しながら石原教授は説明した。その図では「先祖となった真核生物」という太い幹が「ミトコンドリア」と書かれた幹と合流しており、そこから「植物」「動物」「菌類」という三つの幹が形成されていた。そのうち「植物」となる幹は、「シアノバクテリア」の幹から分岐してきた「葉緑体」と途中からひとつになっている。聖美には、その図の中でミトコンドリアの幹がひときわ力強いものに感じられた。
 スクリーンはミトコンドリアの写真に戻つた。さらに話が続く。
「しかし現在、ミトコンドリアは自分の意志で勝手に増殖することはできません。ミトコンドリアがどうやって分裂するのかは未だによく分かっていませんが、すくなくともそれをコントロールしているのはどうやら核遺伝子だということが研究の結果明らかにされてきました。ミトコンドリアはわれわれの先祖である細胞に寄生した当初は、自分の遺伝子に自分を増殖させる遺伝暗号を持っていたはずです。しかしミトコンドリアはすぐにそういつた暗号を、宿主の核遺伝子に組み込んでしまったのです。そしていま、ミトコンドリアの中にあるDNAにはほんの少しの遺伝暗号しか残っていません。ミトコンドリアは自分の体を増殖させたり、自分の体を構成するタンパク質をつくることを、全部核に押し付けてしまったのです。こうしてミトコンドリアはエネルギーの産生に全力を尽くすことになりました。ミトコンドリアにしてみれば面倒なことを全部核に任せたわけですからとても楽な生活を送れることになります。エネルギーをつくる素になる糖や脂肪は宿主の細胞が調達してくれますしね。一方宿主の細胞にしてみれば、エネルギーの素を与えさえすれば、自分では到底つくることができないほどの高エネルギーをミトコンドリアがつくってくれるわけですから、これも都合がいいわけです。つまりわれわれ人間と腸内細菌がうまく共生しているように、遥か昔から宿主細胞とミトコンドリアもいい共生関係を保っているわけです」
 ここで石原教授は一息つき、演者席に用意されていた水を一口畷った。
 聖美の心臓は胸から飛び出しそうなほど、どくどくと動き続けていた。自分でも気づかないうちに口を僅かに開け、はあはあと荒い息を吐き出していた。演者が声を切ったため、やつと聖美はその音に気づき、慌ててごくりと唾を呑み口をつぐんだ。まだ胸の鼓動がおさまらなかった。出口を塞がれた呼気が鼻から一定のリズムで勢いよく吹き出した。恥ずかしくなって聖美は手で鼻と口を覆い、音を少しでも隠そうとした。眼をつぶり、ひとつ深呼吸した。
 自分でもわからなかった。なぜこんなに興奮するのだろう。なぜこんなにもミトコンドリアに魅せられるのだろう。なぜ。わからなかった。どくん、どくん、どくん。心臓はまだ猛々しく運動を続けている。脂汗が額に滲んできた。胸元や内股のあたりも汗で濡れ、衣服が張り付いてしまっている。手の甲で額を拭うと、ベったりとした感触が残った。
 聖美は目を開け、ポシェットからハンカチを出して額と首筋を押さえた。スクリーンへ視線を戻すと、石原教授はミトコンドリアのDNAについて説明していた。老化に伴ってミトコンドリア内のDNAが異常をきたしてゆく。それには活性酸素というものが関与しているという。ミトコンドリア遺伝子の異常が原因で起こる疾患も幾つか説明した。さらにミトコンドリア遺伝子がどうやって子孫に受け継がれてゆくかについても解説を加えた。
「ミトコンドリア遺伝子は、おもしろいことに母系遺伝します。受精の際、精子のミトコンドリアも卵子の中に入るのですが、通常の場合精子によってもたらされた父方のミトコンドリアDNAは受精卵の中で増えないのです。母方のミトコンドリアDNAだけが増えてゆくため、結局生まれてくる子供の体内のミトコンドリアはほとんどが母親と同じものになってしまいます。従って、ミトコンドリア遺伝子は母系遺伝するといって差し支えないわけです。しかし、それではミトコンドリア遺伝子が関与する疾患はすべて母系遺伝で伝わるのかというと必ずしもそうではないという結果が出ていまして、このあたりの謎《なぞ》を解き明かすのが現在の研究課題のひとつでもあるわけです。最近はミトコンドリア遺伝子が完全に母系遺伝をするのではないということがわかってきたのですが……、その話は複雑になるのでここでは省略しましょう」
 写真が映し出される割合が減り、代わって色鮮やかに着色されたグラフや模式図が多く現れるようになった。コンピュータで描いたらしいそれらの絵は、先程の顕微鏡写真ほどには聖美の体を昂《たかぶ》らせはしなかった。ミトコンドリア遺伝子の話が五分ほど続き、いつの間にか聖美の胸はどくどくという激しい動きから、どく、どく、と落ち着いてゆき、やがてとくん、とくん、と小さな音におさまってきていた。本来の鼓動に戻りつつあった。
 聖美は安堵の息を漏らし、姿勢を直した。そして石原教授の講演に集中しようと努めた。話題は次へ移ろうとしていた。
「……みなさんは職場や学校、あるいはご近所付き合いの中で、多くのストレスを感じていることと思います。現代はストレス社会ともいわれていますが、まさに、他人と一緒に生活することはストレスを伴うものです。これと同じことが宿主細胞とミトコンドリアとの共生関係にもいえます。互いに異なるものが一緒に暮らすとき、ストレスがかかるのです。実は細胞にストレスを与えると、細胞の中でストレスタンパク質というものが誘導されてきます。このストレスタンパク質は、核とミトコンドリアの共生をスムーズにする役目を持つているということがわかってきました」
 細胞の中にはいろいろな種類のストレスタンパク質があること、ストレスタンパク質がミトコンドリアの中へ酵素を運ぶ働きをしていること、ストレスタンパク質がなくなるとミトコンドリアが異常になることなどを、石原教授はひとつひとつわかりやすい図表で説明していった。聖美の心臓は完全に平常に戻っていた。ふと手元を見ると、両の拳を握り締めたままになっていた。先程の発作を堪《こら》えたときに思わず力を入れたのが、今までそのままになっていたのだ。聖美は心の中で苦笑して、手から力を抜いた。二、三度手を開いたり閉じたりして張り詰めた筋肉の緊張をほぐした。
 そのとき、画面が切り替わり、大きな棒グラフが現れた。うちの講座でおこなった実験結果です、と石原教授が説明した。ストレスタンパク質を欠損させた場合におけるミトコンドリアへの酵素の移行の度合いを調べたものだという。種々のストレスタンパク質の名前が横軸に並べられており、そこから棒グラフが伸びている。長いのもあれば短いのもあった。
「このように一部のストレスタンバク質がなくなるとミトコンドリアでの酵素の発現がうまくいかなくなることがわかります。これがミトコンドリアの機能が低下していることによる幾つかの疾患と関係している可能性もあるわけです」
 聖美はその画面を見つめた。石原教授の指すポインターの赤い光線に沿って視線を動かし、棒グラフの意味するところを読み取っていった。教授がその図の説明を終え、次のスライドを、といつたそのとき、偶然聖美の視界が、教授の示さなかったものを捕らえた。画面の右下に小さく書かれている英語だつた。
 その途端、どん! と胸が弾けた。
 あまりの突然さに、聖美は小さな悲鳴を上げ、がくんと前につんのめつた。がしゃりというスライドプロジェクターの音と共に画面が切り替わり、別の棒グラフがスクリーンに現れた。聖美は慌ててその画面の隅から隅まで目を走らせた。そこにも図の下に同じ文字が書かれていた。また心臓が暴発した。石原教授がなにか話している。しかし聖美には聞こえなかった。がしゃりと音がして、また画面が変わつた。同じような棒グラフだった。そしてその右下に、やはりその文字が書かれていた。三度目の衝撃が襲ってきた。体が椅子から跳ね上がり、大きな音を立ててしまった。室内にいる人たちが一斉に聖美のほうを向くのがわかった。だが体裁を取り繕《つくろ》うことはできなかった。心臓が暴走していた。聖美は胸を必死で押さえ、発作を堪えようとした。だができなかった。聖美は口を開け、声を出そうとした。しかし耳障りなひゅうひゅうという音しか出せなかった。息が詰まっていた。顔が熱かった。どくどく、どくどく、今にも胸から蒸気が噴き出しそうだった。聖美は錯綜《さくそう》する頭の中で、なぜこんなことが起こったのか突きとめようと必死になっていた。画面に映っていた細かい英語の文字。聖美はそれを全て読んだわけではなかった。その意味するところもよくわからなかった。なんと書いてあったのだろう、聖美はほんの一瞬見たその英語の文字を思い出そうとした。目の前がかすんでいった。誰かが駆け寄つてくる。思い出した。どくどくと脈打つ聖美の脳内で、その文字がぼうと浮かび上がった。
 Nagashima,T.et a, J.Biol. Chem, 266, 3266, 1991.
 覚えがあった。ナガシマ・T、その名には覚えがあった。T。どくん。トシアキ。そうだ。どくん。ナガシマトシアキ。どくん。その名をどこかで聞いたことがあった。その人とどこかで会ったことがあつた。その人は、そう、あれは大学に入ってすぐ……。どくん、どくん、どくん。
「大丈夫ですか?」
 遠くで声がした。誰かが聖美の体を抱き起こそうとしていた。気が遠のく寸前、聖美はその人の顔を見た。ああ、この人だ。そう思った。
 同時に心の底から別の声が聞こえてきた。
(コノヒトダ)
 大きな痙攣《けいれん》が全身を閃《はし》った。その人の腕に顔を埋め、がくがくと暴れる体を任せるのが精一杯だった。誰? と叫ぶ間もなく、聖美は気を失った。
 
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