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パラサイト・イブ3-6

时间: 2019-07-27    进入日语论坛
核心提示:       6 インキュベーターの内部は異形《いぎよう》の肉塊で埋め尽くされていた。培地の甘い匂い、胃酸の饐《す》えた
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 インキュベーターの内部は異形《いぎよう》の肉塊で埋め尽くされていた。培地の甘い匂い、胃酸の饐《す》えた匂い、汗、唾液、それらの混じりあったむせ返るような蒸気が利明の鼻孔を衝《つ》いた。
 利明は後じさった。吐き気が喉元まで込み上げてくる。しかしそのものから目を逸らすことができなかった。
 それは人体の部分の捏《こ》ね合わせだった。女性の体から器官を切り取り粘土のように伸ばし、千切り、交ぜ、合わせた肉の塊だった。しかもそれは全体から粘液を滲み出し、びくんびくんと脈打ち轟いている。桃色に濡れた唇が誘うように動き、中からちろちろと舌を覗かせていた。表面に突出する沙蚕《ごかい》のような数本の触手は爪をその先端に持ち、自らの体を撫《な》で回している。中央部に穿《うが》たれた赤黒い陥没は、周囲の襞とともに収縮を繰り返している。その向こうには奇妙なほどに滑らかで崇高な曲線を描く乳房がひとつ、巨大な菓子のように聳《そび》えていた。グロテスクな器官のなかでそれだけが不釣り合いなほど清らかで美しかった。それは肉塊の表面に脈が走るたびぶるぶると柔らかく震えていた。
 唇が持ち上がった。
 その部分が蛇のように伸び鎌首《かまくび》をもたげた。利明に狙《ねら》いを定めてくる。それは三日月のような形で笑った。
「トシアキ…:…」
 全身が総毛立った。
 蛇の胴部が膨張した。根粒から芋状になり、そしてそれは蛇の頭頂へと前進し唇の上におさまりさらに膨れ続けた。頬ができる。鼻が隆起する。閉じた双眸《そうぼう》が刻印される。額が広がる。人面だった。女性の貌《かお》ができようとしていた。細かく黒いものが頭部から生えてくる。毛髪だ。蛆矧《みみず》が湧き出すかのように生えてくる。利明は手で口元を押さえた。そこに形作られようとしているもの、それは聖美だった。聖美の顔だった。
 聖美が目を開いた。
 利明の視線を捕らえた。利明は顔を背けようとしたが視線が絡み付いてほどけなかった。その瞳は潤んでいた。白目の周囲には紅い毛細血管が走っている。瞼《まぶた》がさらに大きく開いた。真円状の両眼が利明を見据えた。いまにも飛び出してきそうだった。
「待っていた……」
 ろくろのような頭部がぐいと近づいてきた。
「待っていた、あなたを待っていた……」
 譫言《うわごと》のように聖美は繰り返した。哂《わら》っている。頬が紅潮している。舌を長く伸ばし唇を嘗《な》めた。
 首の肉塊への結合部が隆起し、肩が現れた。細い鎖骨が見える。露《あらわ》になっていた乳房がそれにつられて動き胸部に張りつく。もう一方の乳房がゆっくりと持ち上がってくる。
 インキュベーターの中で、聖美の上半身が形成されようとしていた。平たくのたうつ肉塊から、聖美のくびれた腰が、そして小さな臍《へそ》が姿を現す。胴体の両脇が鰭《ひれ》のように盛り上がり、二本の腕が分離していった。うねうねと這い回る触手が手首に集まってゆき、白魚のように撥《は》ねながら吸い付いてゆく。どろりとした粘液の中から聖美はその両手を引き上げた。嬉しいのか十本の細い指をゆらゆらと動かす。聖美は喉を反らし大きな息を吐いた。両手でその喉に触れ、そしてゆるやかに胸から腰へとまさぐってゆく。
 利明の全身はがくがくと震えていた。目の前に現れたそれは生前の聖美とまったくかわらなかった。肩の張り出し具合、胸の隆起、腰の曲線、すべてが測ったように等しかった。だがいまインキュベーターの中で轟くものは全身が濡れそぼち、つねに表皮が波のように流動しており、生身の人間の皮膚がもつすべやかな質感を見て取ることができなかった。利明の喉に饐えたものがこみあげていた。
 聖美が艶然《えんぜん》とした笑みを浮かべた。唇は熟して崩れた果実のような桃色を放っている。長い眉《まゆ》が悩ましげに歪む。眸《ひとみ》は濡れ、その目尻に大きな泪粒を浮かべている。決して生前の聖美が見せたことのない、男を欲する雌の色笑だった。
「利明……、あなたを待ってたの……」
 聖美は猫のように喉を鳴らした。片手をインキュベーターの扉にかける。そしてついと肩を前に出した。
 インキュベーターの台に広がっていた肉の塊が汚らしい湿った音を立てて床へ落ちた。飛沫《しぶき》が利明の体にかかった。利明は思わず手で体をかばった。
 床に落ちた塊はのたうちながら急速に形を変えていった。唯一まだその行き場所を定めていなかった臓器、膣《ちつ》と子宮が滝を遡るように聖美の腰へと昇っていった。それに伴い腰から下の曲線が鑿《のみ》で削るように造り上げられ、そしてその中心が縦に一直線に裂けていった。子宮は聖美の体内に潜り、膣口が挑むように利明を向いて下腹部におさまった。その上部から縮れた群毛が発生してきた。臀部《でんぶ》が膨らみ重量感を持ってくる。聖美はそれをゆらりゆらりと左右に振ってみせた。
「利明、私の体を見て」
 聖美が一歩踏み出した。
 ベちゃり、と濡れた音が培養室に響く。
 もう一歩、ベちゃり、とさらに大きい音が近づく。
 利明は口を押さえながら一歩後へ引いた。だが聖美との距離は確実に狭まっていた。
 聖美はすでに足首まで完成していた。踵《かかと》と爪先はまだ曖昧《あいまい》な塊のままだが、早くも芋虫のような足指がぞろぞろと生え始めている。また一歩近づいてくる。
「ほら、これが私の体」聖美が続けた。「覚えているでしょう、利明。この体をあなたは何度もきつく抱いてくれた。全身に口づけをしてくれた。私は忘れない。……あなたは私の首筋を舌で嘗めてくれた。この胸をその手で包んでくれた。私の中で強く動いてくれた。あなたは私を愛してくれた。……私だけを愛してくれた」
 違う。おまえじゃない。そう叫びたかった。だが口を開くと吐いてしまいそうだった。利明は倒れそうになりながらも後方へ下がっていった。背中が何かにあたった。培養室の扉だ。
「さあ、私を愛して。これまでのようにきつく抱いて。私の中に入って。ぐちゃぐちゃになるまでかき回して」
 必死で首を振る。だが聖美は笑みを浮かべたまま近づいてくる。挑むようにして腕を伸ばしてくる。利明は培養室を飛び出した。
 どこへ逃げたらいいのかわからなかった。真っ暗な廊下が左右に伸びている。聖美がゆっくりと部屋から現れた。
 はす向かいにある自分の研究室の扉に、利明は体当たりした。鍵がかかっている。だが古い木製の扉は二度目の体当たりで留め金を大きく跳ばした。中に駆け込む。そして内からその扉を押さえた。なにか使えるものがないかと必死でまわりを手探りする。すぐそばに立て掛けられていたモップをつっかい棒にした。
「どうして逃げるの、利明?」
 扉の向こうでかすかな晒笑《わらい》が起こった。利明は全身で扉を押さえる。聖美が扉の前に立つのがわかった。
「無駄よ、そんなことしても」
 バケツで水をぶちまけたような音が響いた。扉の下からどろどろとした液体が部屋の中へ流れ込んでくる。肉だった。肉の溶液だった。扉の向こうで聖美は再び不定形の肉へと戻ったのだ。そしてそれは部屋の中へ侵入するや再び聖美の上半身へと変化しはじめた。聖美はにやりと笑い、両手をついて体を持ち上げた。利明はかすれた声を上げた。
 利明は扉から飛びのいた。部屋の中はほとんどなにも見えない。手探りで逃げる。どこかで機械の液晶ランプがうっすらと光を放っている。それだけが頼りだった。臑《すね》を椅子の角にぶつけた。利明は悲鳴をあげた。はずみで胃液が口から溢れ出た。
 聖美が追ってきた。袖をつかまれる。利明はばたばたと暴れてそれを振り払った。だが追い詰められた。背中に机があたる。浅倉の実験台だ。利明は手当たり次第に机の上のものをつかみ聖美に投げつけた。
「無駄だといっているでしょう」
 聖美の笑みがぼうと浮かび上がった。利明の投げた試薬瓶が、ピペットマンが、遠心チユーブが、聖美の体の中に埋もれてゆく。体に当たった物体を聖美の体は貪食《どんしよく》してゆく。
 利明の指先が堅い棒に触れた。鉄製のカラムスタンドだ。利明はそれを振りかざし聖美の脳天へ打ち下ろした。それは鈍い音を立てて聖美の頭蓋へ食い込んだ。
 聖美は哄笑《こうしよう》した。額からスタンドを生やしたまま大声で笑った。それを右手で握り、ゆっくりと引く。聖美の顔からスタンドが抜き取られてゆく。利明は悲鳴を上げた。これは聖美の姿をしているが人間ではない。中身まで同じなのではない。ただ巨大な肉の塊が聖美の姿を真似ているのだ。スタンドの脚が抜き取られる瞬間、聖美の顔が歪んだ。ずぽりと音がしてスタンドの脚が外へ出る。聖美はそれを後方へ投げ捨てた。
「さあ、おとなしくして。私をちゃんと見て」
 聖美の両手が伸び、利明の顔をつかんだ。ぬめぬめとした手だった。細胞ひとつひとつがさわさわと蠕動《ぜんどう》している。首を振って退けようとしたが、全く動かすことができなかった。聖美の顔が近づいてくる。
「愛してるわ、利明」
 聖美が唇を圧しつけてきた。
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