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「捨ておけ、もはや害も毒も消えた老人だ」
「よ、よろしいので?」
「ああいうのが、真の盗賊というやつだ。おれが若いころには、まだ大分に残っていたが……このごろの盗賊どもは、品も格も落ちるばかりよ。さ、のめ。もっと、のめ」
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[#地付き]「はさみ撃《う》ち」
古往今来《こおうこんらい》、旧世代が新世代の不平をいうのは世の常であったらしい。メソポタミアの洞窟に書いてあった古代文字を解読したら「最近の若者はなっとらん」という意味だったとか、ピラミッドの基底部から出土した粘土板には「いまどきの若造は礼儀を知らん」と刻まれていたなどという笑い話がある。
引用の言葉は、誰あろう、長谷川平蔵その人の口から発せられたものであるが、火付盗賊改方の長官が最近の若い盗賊たちのふがいなさを嘆いていて溜飲が下がるというのではない。ここで注目すべきは、あの鬼平までもが若者を慨嘆しているという事実である。
平蔵も凡人俗輩と同じく、若者を嘆いていたのかと落胆する向きもあろうが、浅読みは禁物である。さっきもいったように、年長者が若い人を嘆くのは、いにしえより連綿とつづいてきた人類の伝統である。年長者は年少者を、自分より年齢が若いという理由だけで、野暮で、世間知らずで、気の利かない人間だと伝統的に見なしてきたのだ。
ならば、これは人類の病であるのか、それとも叡知であるのか。
冷静に考えてみると、「なっとらん若者たち」が世代ごとに生みだされるのだとしたら、世代ごとに世の中はどんどん悪くなっていくはずである。そしてそれが真実ならば、人類はとっくの昔に滅んでしまっているはずだ。
だが、人類はいまだ滅びず、退化どころか進化し、世の中はずいぶんと便利で過ごしやすいところになった。
これはどういうことなのか。
各世代の「なっとらん若者たち」が知恵をだして、世の中を少しずつよくしてきたという理由以外に答えは見当たらない。
であるなら、「なっとらん若者たち」がどうして知恵者になれたのか。
答えはひとつ。それは、各世代の年長者が若者たちの未熟と無分別を「見ちゃおれない」としっかりと嘆いてきたからである。
年長者が年少者のとっちらかった言動に目くじらをたて、いちゃもんをつけ、苦々《にがにが》しく吐き捨てることで、年少者は反発し、発奮し、努力してきたのである。実行力はあるが技倆《ぎりよう》と自省能力に欠ける年少者に入念に喝《かつ》を入れつづけることで、彼らの奮起や熱意や勇躍を促してきたのである。……人類の知恵は、ホント、侮れん。
昨今、若者を「なっとらん」と嘆くことが流行《はや》らないようであるが、これは人類の遺産を軽視した烏滸《おこ》の沙汰である。
勇を鼓《こ》して、おおいに若者を嘆くべし。これは悠久の歴史のなかで生みだされた人類の知恵なのだから。