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「不覚者《ふかくもの》め」
低い声だが、きびしく、平蔵が島田慶太郎を叱った。
島田は、平伏したままだ。
その両肩が激しくふるえている。
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[#地付き]「鬼火《おにび》」
人を叱るのは難しい。「人を見て法を説け」という格言があるように、叱る人間は叱られる人間の心情を推し量らなくてはならないから一筋縄ではいかない。
自分の優越性を誇示するようなやり方で叱ったのでは相手に劣等感を抱かせるだけだし、こめかみに血管を浮き上がらせて高圧的な態度で叱声を浴びせかけたのでは相手を萎縮させることにしかならない。ましてや、相手の気持ちを考えずにそのときの気分で悪しざまにコキおろしたのでは相手を傷つけるだけだ。人の心は一度ヒビがはいってしまうと、なかなか完治しないものである。
で、そのような叱られ方をした人間はどのような反応を示すのか。ある者は「どうせ自分はダメなんだ」と背中をまるめ、唇を噛みしめ、屈辱にうなだれる。またある者は、「エラそうに。何をいってやがる」と反発し、逆恨みして、復讐の牙を研ぐ。いずれにしても、これでは叱った意味がない。
では、どう叱るのがもっともよいのか。われらが鬼平に学んでみよう。
まず、「本気できびしく叱る」ことだ。ヘラヘラ笑いながら感情のおもむくままに人を小馬鹿にするのが得意な人間はたくさんいるが、誠意をもって真剣に叱責できる人間はごくわずかである。……はて、どうして人は真剣に他人を叱責できないのか。それは、しょせんは他人ごとだからである。じゃあ、平蔵が本気で人を叱れたのはなぜか。もうおわかりですね。それは、「このおれに、さらには組織全体に迷惑がかかるから」と真剣に思ったからである。だからこそ、生半可な気持ちで人を叱れなかったのだ。それ以外の理由はない。「島田慶太郎の成長を願って、ではない?」って、あたりまえである。鬼の平蔵は、叱ることに大きな期待を寄せるほど浅薄な男ではない。
二つめは、「短い言葉で叱る」ことだ。よく「いいたかないよ、こんなこと……」といってから、いいたいことを、いいたい放題をいう人がいるが、これでは逆効果だ。いい歳になってから人に説教されるのは、けっこうこたえるものであり、その内容がもっともであるほど、そしてその御託宣が長引くほど、なぜか人を素直にさせないものだ。
叱正は簡潔明瞭を旨とすべし。ネチネチと長ったらしく叱るのは、いかなる場合においてもご法度《はつと》だ。具体的にすみやかに語られる短い叱正だけが心に素直に受け入れられる(ときに大喝一声するのもよい)。鬼平は人界を泳ぎまわっているうちに、こうした知恵を身につけたようである。
最後に、「その後を気にする」ことだ。叱りっぱなしにしてはいけない。平蔵はこのあと、がっくりと肩を落とした同心・島田慶太郎を気遣って、「島田から目をはなすな」とまわりに厳命したあと、新たな力が心身によみがえることを願って、翌日の捜索には「島田慶太郎も連れて行け」と直属の上司である与力の佐嶋に命じている。人望をあつめる男とは、こうした叱り方をするのである。