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「左馬之助《さまのすけ》。こりゃあ、御手柄だ」
長谷川平蔵が真顔になり、
「いくらでも恩に着よう」
「ざまあ見ろ」
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[#地付き]「敵《かたき》」
吾輩は寝ころんでいた。熱はまだない。そこへ室崎のバカから電話。この男、ハンサムなくせにバカなのがせつない。で、用件は……。おそらく借金の電話であろう。
「小銭なら、ある」
任せてくれ。ダテにものは書いとらん。え、ちがうの?
「一杯やらないか」との誘いであった。無駄な知識と体脂肪では群を抜く佐藤と、他人の心理はコントロールできるが自分の体重はコントロールできない須藤のバカも「はや臨戦態勢に入っている」という。どうしようかな……。咳《せき》はでなかったが、空咳をしながら「じつは風邪をこじらせたんだ」というと、
「ほんとうはバカをこじらせたんだろう」
電話の向こうでガハハと笑っている。友よ、「バカをこじらせた」はなかろうよ。
……よおし、飲みにいってやる。
さて、日頃は脳の前頭前野《ぜんとうぜんや》を冷静に機能させる小生がどうしてこのようなバカをやろうとしているのか。いっておくが、融通性、柔軟性、即応性において人よりまさっているというわけではない。それは、欠席すると無茶苦茶いわれるという危惧もあるが、悪友の効用というものを骨身に沁《し》みて知っているからである。
悪友のいいところは、「落ち込んだときに自分より間抜けなやつを見るとほっとする」という効用があるだけではない。ズバリ、それは、はしゃいだ精神に冷水を浴びせかけてくれるところだ。
読者諸賢は知っていると思うが、あれこれの調査が示唆しているように人はバカである。それも大量かつ多彩に存在することを知っていよう。少しばかり出世したり、ちょっとばかり札束を握ると、「おれは……おれが……」と偉そうな顔をしたり、ふんぞり返って威張ってみたくなる。ましてやアルコールが入り、聞き上手な異性や従順な部下が傍らにいれば、猛烈に居丈高になってみたい誘惑にかられる。こうしてバカは図にのってますますバカを炸裂させるのだ。浜の真砂《まさご》は尽きるとも世にバカの種は尽きまじ。
ところが、相手が悪友となるとそうはいかない。そんな高飛車な態度をとろうものなら、間髪《かんはつ》を入れず、何のためらいもなく「おまえはバカだ」と罵ってくれ、膨張するバカに歯止めをかけてくれる。悪友は、その名にふさわしく、なかなか意地悪な存在だ。
人はバカだけれども、まんざら捨てたものではない。愚かであるがゆえにいろんな間違いを犯すけれど、悪友たちが痛罵してくれるおかげで、なんとか謙虚さを取り戻すことができる。小さく断定するが、悪友がいるからこそ、人は等身大の自分を知り、自己を省みる知性を身につけることができる。平蔵の人品骨柄が卑しくならなかったのは、耳の痛いことをずけずけといってくれる岸井左馬之助という悪友がいたからである。ゆめ、悪友をバカにするなかれ。
そんなわけで小生は出かけなくてはならない。これにて御免。