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「長谷川平蔵も焼《やき》がまわったらしい」
旗本ばかりか、幕閣の人びとも、そんな|うわさ《ヽヽヽ》をしているとか……。
老中・松平定信も、
「葵の御紋を汚《けが》す盗賊、一日も早く召し捕えよ」
正式に、各奉行所へ指令を発した。平蔵の顔は〔まるつぶれ〕である。
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[#地付き]「妖盗葵小僧《ようとうあおいこぞう》」
葵小僧《あおいこぞう》は将軍家の葵の紋付を着て盗みをはたらき、そのうえに婦女子を犯しまくった獣のような悪党である。平蔵は、この神出鬼没の葵小僧に翻弄され、いくたびも煮え湯を飲まされた。葵小僧に手を焼く平蔵を見て、旗本や幕閣は非難を浴びせ、そのうえに中傷をパラパラとまぶすのであった。さすがの平蔵もこれには参ったとみえ、心労のあまり「|げっそり《ヽヽヽヽ》」となり、「|やつれ《ヽヽヽ》が目立って」きたほどであった。
いうまでもないことだが、中傷は人を滅入らせる。あのマザー・テレサでさえも、「もっとも困難な仕事は、中傷と戦うことだった」と述べている。
人は誰でも、妬《ねた》みや僻《ひが》みや恨む気持ちを心底に宿している。聖人君子にいわせれば、それらは�卑しい感情�になるのであろうが、それをもっていることを認めてなお自制するのが理性ある大人ではなかろうか。他人の気持ちを斟酌《しんしやく》することなく、己れの感情の奴隷となり、自分の都合や利益を優先して、ほんとうに他人を誹謗し中傷してしまうのが�卑しい人間�なのだ。嫉妬は薄焼きせんべいの如く、キツネ色にほんのり焼く程度にとどめておくことだ。
インターネット──小心者および卑怯者たちがかならず分け入るといわれる、あの伝説の獣道《けものみち》。そこでは匿名性のなかに身をひそめて自己を肥大化させ、文字にするのが憚られるほどの過激さと、蛇のごとき執念深さをもって他人を貶めて愉快がっている心ない人間がうじゃうじゃいると聞く。
ざっくりいうが、そういう人間は「したい」という欲求を「しない」と抑え込む自律心を欠いているのだ。虫酸《むしず》が走るというか、えげつないというか、かかわりたくないおぞましい連中である。「卑しい感情」をもつのは仕方ないが、それを実行してしまう「卑しい人間」になってはいけない。
おそらく、そうした彼もしくは彼女が最後に見るものといったら、自分の手で燃やしてしまった金閣寺だけであろう(若い人よ、人間は記憶というものに苛《さいな》まれる動物でもあるのだよ。早いうちに足を洗いなさい。さもないと、忌まわしい記憶に苛まれて人生を台無しにしてしまうよ)。いずれにしても、人を批判するときは、黒帯をしめて堂々とやることだ。
では、そうした卑しい人間の中傷から己れを守る術《すべ》はあるのだろうか。
たったひとつだけある、と平蔵は無言のうちに述べている。
それは、他人の評判のうえに自分の安心感を築こうとせず、己れのやるべきことを自覚して、そのことにひたすら打ち込むことだ。小人《しようじん》の不善などにかまけている時間はないと強く自分に言い聞かせて、中傷をまったく意に介さないことである。謂《いわ》れなき非難中傷は黙殺するに限る。とにかく素知らぬ顔で受け流してしまうことだ。
じっさい平蔵は、これら中傷に対していっさいの反論をせず、自暴自棄にもならず、身を粉にして万策を講じ、ついには葵小僧を捕縛するのだった。