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鬼平犯科帳の人生論16

时间: 2019-07-30    进入日语论坛
核心提示:● 人は自分の信じたい〔うわさ〕だけを信じる[#ここから5字下げ]「宗仙《そうせん》さまのところの縁の下には、どれほど小
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 ● 人は自分の信じたい〔うわさ〕だけを信じる
 
[#ここから5字下げ]
「宗仙《そうせん》さまのところの縁の下には、どれほど小判が埋まっているやら……」
 以前から、そうした〔うわさ〕がささやきかわされているらしい。
〈中略〉
 しかし、長谷川平蔵は、
「人のうわさほど狂うているものはない」
 と、山田同心に、
「お前、宗仙がことをさぐったのか?」
「いえ別に、そのような……宗仙どのを迎えにまいりましたとき、何気もなく、近所のうわさを……」
「こやつ、役目癖がぬけなくなったわ」
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き]「麻布《あざぶ》ねずみ坂《ざか》」
 
 果たして宗仙は、白子《しらこ》の菊右《きくえ》衛|門《もん》という香《や》具|師《し》の元締《もとじめ》とつながりをもつ指圧師であった。菊右衛門の妾《めかけ》に手をだしたのが徒《あだ》になり、大金が要ったのだった。
 ところで、「人のうわさほど狂うているものはない」という鬼平だが、平蔵は当時、どのようにうわさされた人物だったのか。
 ご存じのとおり、長谷川平蔵は実在の人物である。歴史家にいわせれば、江戸市中にはびこっている無宿人をあつめてその更生を図る「人足寄場《にんそくよせば》」の創設と運営に尽力した傑物ということになろうが、たとえば老中・松平定信の自伝『宇下人言《うげのひとこと》』に目をとおした読者は、これとはちがう�実像�をイメージしているにちがいない。そこには次のような平蔵が描かれている。要約してみよう。
「無宿人対策を求めたところ、火附盗賊改の長谷川何がしが、やらせてください、といってきた。やらせてみると、たしかに無宿人や盗賊が減った。これは長谷川の功績だが、この男、功利をむさぼるがゆえに山師のようにずる賢いとの悪いうわさもあった。それを承知で任せたのは、それくらいの者でなければ寄場の創業はおぼつかないと考えたからである」
 え? これが鬼平の実像なのか……と思われた読者もいることだろう。平蔵の姦物《かんぶつ》ぶりには目を見張るものがあった、といわんばかりの筆致である。
 しかし、この人物|月旦《げつたん》の主である松平定信の周辺に想像力のツバメを飛ばしてみると、いくつかの疑問がわきあがってくる。
 そもそも「人足寄場」の功労者を、名前をぼかして�長谷川何がし�としたのは何故《なにゆえ》か。また、功績はそっちのけにして、�山師�との悪評判をあえて伝えようとしたのはどうしてか……等々。
 それは、〔うわさ〕を信じたからである。
 定信のまわりには、武人を嫌う文人肌の隠密、自分以外の人間を憎んでいる嫉妬深い役人などがいて、「平蔵は山師」との情報をせっせと定信の耳に入れたようである。
 そこで、〔うわさ〕についての小見を三つ。
 ひとつ、うわさの七割はやっかみから生じたものである。
 ふたつ、人というものは、自分の信じたいうわさしか信じない。
 みっつ、世間はその人が乗り越えられるだけのうわさを与える(聖書に「神はその人が乗り越えられるだけの試練を与える」との一節がある。そのもじり)。
 
† たとえば、べつだん気がない女子(男子)社員を連れて麻布のレストランで食事をしたとしよう。あなたが得るものといったら、いったい何であろう。誤解という名の〔うわさ〕だけである。老いも若きも、男も女も、春夏秋冬、朝から晩まで、ほんとうに〔うわさ〕が好きである。
 
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