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鬼平犯科帳の人生論19

时间: 2019-07-30    进入日语论坛
核心提示:● 礼儀は正しいのがよい[#ここから5字下げ] 夕暮れが近づくと、平蔵は駕籠《かご》で、本所二ツ目の軍鶏《しやも》なべ屋
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 ● 礼儀は正しいのがよい
 
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 夕暮れが近づくと、平蔵は駕籠《かご》で、本所二ツ目の軍鶏《しやも》なべ屋〔五鉄〕へ出かけて行った。
 すでに、大滝の五郎蔵は彦十と共に待っていた。
「わざわざ、お出向きをねがいまして、申しわけもございません」
 と、五郎蔵のあいさつは、そのことばにもかたちにも、実に|きっちり《ヽヽヽヽ》としたものがにじみ出ていたようである。
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き]「深川《ふかがわ》・千鳥橋《ちどりばし》」
 
 大滝の五郎蔵は、大盗・蓑火《みのひ》の喜之助《きのすけ》のもとでみっちりと修業を積んだ盗賊で、のちに火盗改メの密偵となった男である。密偵・小房《こぶさ》の粂八《くめはち》によれば、「蓑火の親分にみっちりと仕込まれただけあって、そりゃもう、何から何まで、立派なもので……」という人物である。いっときは四十人ほどの盗賊を束ねる頭であった五郎蔵は、その「礼儀正しさ」ゆえに、大親分としての信頼と貫禄を備えていたようである。
 何ごとにつけ、言葉の身だしなみを整えてきちっとした挨拶ができることはよい。このことは論を俟《ま》たない。なぜか。礼儀正しい、と受けとられるからだ。では、どうして「礼儀正しい」ことがよいことなのか。それは、例外はもちろんあろうが、一般に礼儀正しい人は「油断をしない信用できる人物」であるからだ。仕事で無作法な人に会う。こちらが挨拶をしても無視して返さず、いきなり用件を切りだしてくる人がいる。つむじまがりを自任して、それをぶっきらぼうに初対面の相手に伝え、ひどく高飛車な態度をとる人もいる。むろん言葉遣いもぞんざいだ。でも、そうしたとき、小生は妙に安心してほくそえんでしまうのだ。どうしてか。そういう人は、けっきょくのところ、多くの人間からの信用を勝ち得ぬ大した人物ではないと考えるからだ。
 ある年下の若者に年賀状をだしたところ、「ぼくは虚礼廃止主義者なので、年賀状はだしません」との電話があった。えっ。書くと短いが、この「えっ」には礼儀に対する小生のさまざまな思いが込められていた。虚礼廃止主義者……ね。たんに「好み」の問題といえば、問いつめようという気も起こらなかったのに。主義者だと。なんと陳腐な言葉遣いであることか。小生、彼の主張を諒解したうえでこう切りだしてみた。
「虚礼廃止っていうけど、虚でない礼があるのかなあ。初対面の挨拶しかり、別れの挨拶しかり。あなたはそれもいっさいしないの。そうじゃないだろ。人に会えば頭をさげるぐらいのことはしているだろ。年賀状だって同じだと思うんだけどな。ただ、面倒だからやらないだけだろ。大人は、礼が虚であることを知りつつも、それが社交の基本であるから、面倒くさくてもやってるんだよ。礼儀とは、心と自分自身がどんな人間かということを他人に伝えるための大事な手段だと思うけどなあ」
 ひとしきり呆れかえってやった。無作法な態度をとるというのは、心底で相手を見くびっていることであり、逆にいえば、察するに、見くびれない相手にはぺこぺこと頭をさげているのだろう。そんな人間が肝《きも》の据わった人物であろうはずがない。礼を失している人間の、失礼な態度の背後に、人間社会に対する認識の甘さが見てとれる。どんな相手に対しても礼儀正しいという人間は、無作法な人にいわせれば、本心を明かさない、警戒心の強い人間ということになっている。が、小生のささやかな人生経験によれば、礼儀正しい人間は、間違いなく、油断をしない誠実な人間である。
 若い人よ、イリオモテヤマネコに出会ったように私を眺めないでほしい。
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