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鬼平犯科帳の人生論24

时间: 2019-07-30    进入日语论坛
核心提示:● 褒めるときは、気づきにくい美点を一|刷《は》きで[#ここから5字下げ]「女の腹がふくれはじめると、すぐ目立つ」「おそ
(单词翻译:双击或拖选)
 ● 褒めるときは、気づきにくい美点を一|刷《は》きで
 
[#ここから5字下げ]
「女の腹がふくれはじめると、すぐ目立つ」
「おそれ入り……」
「亡兄の妻子は、一時、実家《さと》へ帰しておけ」
「はっ」
 ほうほうの態《てい》で、寺田金三郎が出て行ったあと、平蔵は金三郎と同じ組屋敷に住む佐嶋忠介をよび、こういった。
「佐嶋。おぬしの炯眼《けいがん》にはおそれ入った。まだ、ふくれてもおらぬ女の腹の内を見通すとはな」
「おそれ入りましてございます」
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き]「いろおとこ」
 
 長谷川平蔵は冷たい頭と温かい心をもつ大人《たいじん》である。
 なぜ小生が平蔵にこのような印象をもつのか。それは、平蔵が「人を褒《ほ》める」ことの妙趣を心得ていたからだ。
 わが日本には「豚もおだてりゃ、木に登る」ということわざがあるが、この聖句が人口に膾炙《かいしや》されているのは、いかに人というものが褒められること、もちあげられることが好きであるかということをあらわしている。
 褒めるということについて平蔵に問うてみれば、「組織のうえに立ち、人を引っ張ってきた人間であれば、褒めることをなおざりにはしまいであろうよ」と明快に答えるであろう。
 そしてまた、「他人を褒めたがらない人間は、相手を褒めたら自分が見下されるのではないかとびくついているのだ。つまり、自信のないやつは人を褒めないというわけさ」とつけ加えるにちがいない。
 褒めるということは、人を元気づけるばかりか、どこかしら褒める人間の器量や気位《きぐらい》と結びつくところがあって、その人の屹立《きつりつ》した美しさを際立たせることがある。
 じっさい人は、叱られたことは意外に早く忘れるけれど、褒められたことはいつまでもおぼえているものだ。そして、自分を褒めてくれた人に感謝と敬意の念さえ抱くのである(言いづらいことだが、褒めようのない人ほど、褒め言葉に弱いものである)。
 とはいえ、なんでもかんでも褒めればよいかといえば、むろんそうではない。それが世辞やへつらいと解されたのでは立つ瀬がない。
 褒めることが難しいのはそこだ。いくら真顔で褒めようとも、素直に喜んでもらえないことがある。「心を伝える技術」があるように、「心を裏切る技術」もまたあるのだ。
 平蔵が人を褒めるとき、何が凡骨とはちがっていたのか。
 観察してみると、次の二つの点に気づく。
 ひとつは、「他人が気づきにくい手柄や美点を褒めている」ことだ。
「佐嶋。おぬしの炯眼《けいがん》にはおそれ入った」と感服の言葉を投げかけたあと、「まだ、ふくれてもおらぬ女の腹の内を見通すとはな」と具体的細部をきっちり褒めるのだ。だが、これは「言うは易く、行なうは難し」である。相手に向ける並々ならぬ観察眼と洞察力がなくてはならないからだ。
 いまひとつは、「その観察したところを集約して、一|刷《は》きで伝えてのける練れた表現力がある」ことだ。だらだらくどくど褒めたら、褒め言葉も台なしである。かえって逆効果になるかもしれない。「褒める」ということは褒める人間の器量や気位を美しく際立たせると先に述べたが、まさにこの簡潔と潔さをいっているのである。
 心利きたる者よ、平蔵の「心を伝える技術」を習得するがよろしい。
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