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二人とも、若い性欲を散ずるためには別に困ることはない。男の|あぶら《ヽヽヽ》がこってりと腰や胸にのった商売女たちへは、遠慮|会釈《えしやく》もない腕をさしのべる二人であったけれども、白桃《はくとう》の実《み》のようなおふさに対しては女性《によしよう》への憧憬《どうけい》のすべてがふくまれてい、その折のわが胸底《きようてい》に秘められた万感の、|純なるもの《ヽヽヽヽヽ》あればこそ、平蔵も左馬之助も、おふさを忘れきることができないのである。
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[#地付き]「本所《ほんじよ》・桜屋敷《さくらやしき》」
若き日の平蔵と岸井左馬之助は、ともにおふさに恋心を抱いていた。おふさは清楚可憐であり、白桃の実のような色白の美人であった。
女も男と同様、その魅力は「外見ではない」といわれることがある。が、正確にいうとそれは「外見だけではない」ということであって、やはり、どうしようもなく外見である。
美人とは、とくにお腹がすいているわけでもなく、またとくに何か食べたいものがあるわけでもないのに、なんとなく開けてみたくなる光り輝く冷蔵庫のようなものである(中には何も入っていないこともあるのに)。じっさい「おれは面喰いではない。女といえども外見で判断するようなことはしない」とつねづね口にしていた友人が、あるとき�すこぶる�付きの目の覚めるような美女をまえにしたときにとった態度は、いまだ小生の心に強い印象を残している。あたかもそれは台詞《セリフ》を忘れて舞台の上で棒立ちになった役者のようであった。また、そのとき「美人であること」が見せた威力もすごかった。かすかに微笑む以外は何をしたというわけでもないのに、彼を無条件に投降させ、静かな没頭、やわらかな専心へと導いていくのであった。
男は美人に弱い。これはもうどうしようもない真実だ。異議のある方は、白雪姫やシンデレラがブスだったら王子さまは好きになっただろうかという基本演習問題をまず解いていただきたい。
美人とは、宝石である。存在するだけで価値があり、眺めているだけで心が洗われる。そして美人に対する男の忠誠心は、忠犬ハチ公のそれをはるかに上回る。男にとっての美人とはそういうものだ。ところがやっかいなことに、そしてとても言いづらいことに、美人は美人でなくなってしまうことがある。老いたり、太ったりして、美人ではなくなってしまうのだ。容姿容貌だけではない。性格の嫌な一面を目にしたというだけで(たとえば、四角い部屋を丸く掃いたというだけで)、あるいはくしゃみの仕方が見苦しいというだけで、憑《つ》きものが落ちたように一瞬にして美人に見えなくなってしまうことがある。
こうなると男は身勝手なもので、次なる美人に目移りをして、かつての美人には見向きもしなくなる。残酷である。女性が美人であることを長期にわたって維持するのは、駱駝《らくだ》が針の穴を通るほどに難しいことなのであろう。
ゆえに、美人とは哀しい存在である。だからこそ男たちは、「いまそこにある美人」にひざまずき、これでもかというほどの待遇を用意するのだ(金と根性のないへなちょこ男に、美女はぜいたくである)。
男と女の関係はうつろいやすいもので満ちている。が、ひとつたしかなことがあるとしたら、それは初恋の女性には再会しないほうがいいということである。「本所・桜屋敷」はそのことをそっと教えている。