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事もなげに笑って平蔵が、
「この御役目はな、善と悪との境目《さかいめ》にあるのだ。それでなくてはつとまらぬのだ。だからといって、田中貞四郎の二ノ舞をだれかがやったら、おれが腹を切る!!」
|ずばり《ヽヽヽ》というや、人が変ったようなすさまじい目つきで一同をにらみまわしたかとおもうと、がらりと口調が変り、
「おれはな、失敗《しくじり》の二ノ舞は大《でえ》きれえだぞ」
いい捨てるや、颯《さつ》と奥へ入ってしまった。
一同、顔を見合せ、|なまつば《ヽヽヽヽ》をのみこむばかりであった。
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[#地付き]「鈍牛《のろうし》」
部下には、「いわれなくてもわかる部下」「いえばわかる部下」「いわれてもわからない部下」の三つのタイプがある。
困るのはもちろん「いわれてもわからない部下」だ。そして、その「いわれてもわからない部下」は、「言語理解能力において著しい欠陥がある部下」と「ほんとうはわかっているのだがわからないふりをしている部下」に分けられる。
やっかいなのはむろん後者のほうだ。彼らはどうしてそんなことをするのか。
一、上司に反感をもっているから(反対派)。
二、上司より自分のほうがすぐれていると考えているから(能力派)。
三、いまの仕事より魅力的でやりがいのある別の仕事に関心があるから(転職派)。
四、仕事より家庭や趣味のほうに興味があるから(自分派)。
五、あくせく働いたって、「先」は知れていると思っているから(無気力派)。
多くの人生論や人間関係学はこうした部下をもったときの心得として、「懐柔」と「説得」をすすめる。が、小生はそう考えない。こればっかりは人間の性根玉《しようねだま》の問題だから、いくらすり寄り、どんなに言い含めても他人の力ではどうにもならないのだ。彼らが「気持ちを入れかえる」ことがあるとしたら、自分で気づくしかないのだ。
さらにいえば、人間に成長を促すものは自己嫌悪である。ゆえに、彼らに改心を求めるのは、ダチョウに空を飛べというような無理な要求である。
そんな彼らが口にすることの多くは、よくいえば詩、悪くいえば妄想以外の何ものでもない。
「自由に空を飛びたいよ。きっとどこかにぼくを待っていてくれる人がいる」
とかなんとか。
こんな詩を口ずさんでいる人間と、まともな対話が成立するであろうか。だから、ここは思いきって、
「旅人よ、もう、きみとは一緒にやっていけない」
という意思を伝えるのがよい。関係の分岐点、結節点、分水嶺をつくるうえでも、意を決してこう伝えてみてはどうか。
「期待される上司像」があるように、「期待される部下像」だってあるはずだ。まずはそのことをきちっと伝え、異動、転職をすすめたらどうか。
そのとき、「異動(転職)すべきはあなたのほうではないですか」といわれたら、その図々しさと無思慮に呆れてこんなふうにいってやるといい。
「いいか。きみにはおれにない才能があるかもしれん。だが、才能はあっても資格はないのだ。おれは上司で、きみはおれの部下だ。残念ながら、決断を下すのはきみではなく、おれのほうだ」
二重顎でもつまみながら、野蛮かつ鷹揚にいってやれ。
こうしたことで、きちんと生きている人間がわりを喰うことはない。