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伊勢屋の主人の又七は、加賀やから舟を出させるときも、船頭の常吉《つねきち》を大声で叱り飛ばしたりして、傍若無人《ぼうじやくぶじん》にふるまう。
かねがね、それが癪《しやく》にさわっていた所為《せい》もあって、先ず、伊勢屋に火をつけたのだ。
伊勢屋は丸焼けになり、となり近所が五軒も類焼し、三人の焼死者が出た。
(ざまあ、みやがれ)
であった。
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[#地付き]「火《ひ》つけ船頭《せんどう》」
なんだかんだいっても和を以《もつ》て貴しとするのが日本人である。
「皆さんがよろしければ、私もいいです」
などという、おそらく欧米社会で口にしたら、たんなる阿呆としか見なされない言葉にそれは端的にあらわれている。
和を以て貴しとすることを頭ごなしに批判するつもりはないが、どうも日本人はこれを美徳としてことさら強調しすぎるきらいがある。
たとえば、社長室に入るとよく「和」の一文字が掲げられているが、「和」はあくまでも何かを成し遂げるための一便法であって、目標とすべき事柄ではない。もちろん、壁に飾るのにふさわしい言葉でもない。さらにいえば、「和」を重視しすぎると、知らず知らずのうちに批判力が低下し、想像力が弱まり、決断力が鈍ってしまう(経営者にとっては、このほうが都合がいいかもしれないが)。で、こうなると、どうなるか。卑屈ともいえる態度をとるのがつねとなり、いつのまにか自分が弱者であることを演出するようになって、やがてそれがほんとうの自分になってしまうのだ。
船頭の常吉は、無口な男であった。
胸のうちでは絶えずぺらぺらとしゃべっていたが、それを口にだすことはめったになかった。争いごとを好まず、鬱憤は胸のうちに畳み込んでしまう小心の男であった。怒髪衝天することもなければ、大喝一声することもなかった。
女房のおときが寝取られたときもそうだ。女房にも相手の男にも、責めるどころか意見もできなかった。胸のなかに仕舞い込んで、じっと堪え忍ぶのだった。
これでは見くびられるのも当然である。
それでまた鬱憤が蓄《たま》っていった。
鬱憤は発散を求めて、ひどく常吉を苦しめた。
何か鬱憤晴らしになるものはないものか。
ついに常吉は、それを火つけに求めるのだった。
論より火つけ。ちょっと火をつけるだけだ。それで大火事だ。黙っていりゃ誰にもわからない。へへ、それで憂《うさ》が晴れる。常吉は線香花火のように弱々しく笑うのだった(ここは想像)。
意見には賛成し、非難には押し黙り、軽蔑にはうなだれているうち、人は卑屈ともいえる人生態度を身につけるようになる。
和を以て貴しとすることに価値を見いだすのはときとして必要だが、日常の処世訓にしてしまうと、あとでとんでもないシッペ返しをくうことになる。
常吉にならないためには、鬱憤晴らしのための�小爆発�が必要だ。
たまには悲憤慷慨の心境や遺憾千万の思いをおもてにだしてみることだ。殺虫剤をかけるくらいのことはしてもいい。大爆発したら、もう手遅れだ。