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「……さ、お帰りなさい。いまの盗賊改方は長谷川平蔵が背負《しよ》っているのだ。金ずくでまるめこもうとしても……」
口調が、がらりと変って、
「だめだよ、爺《じい》さん」
と、鼻で|せせら《ヽヽヽ》笑ったものである。
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[#地付き]「毒《どく》」
お金というものは、それを扱う人の心を映しだす鏡である。
ひと夏、経済に関する本をせっせと読んだ。わかったことは、日本が重度のうつ病にかかっているということだ。国内市場の競争は相変わらず活気に満ち、商品の競争力では世界有数であり、アメリカに対しても大幅な黒字貿易というのに、人びとは雇用不安にビクつき、ひたすら貯蓄に励んで内需を落ち込ませている。いまの不景気は、日本人の心理が生んだ不景気ではないのか。
「コンピュータができてから、景気予測がちっとも当たらなくなった」と皮肉ったのは松下幸之助だが、景気動向を数値だけで判断するのは景気の本義を知らぬ幼稚な態度といってよい(ケインズやハイエクといった経済学の泰斗もまた、経済は客観的事実に対する人々の主観的態度、つまり心理によって構成されると説いている)。
英語では「不景気」のことを�デプレッション�(depression)というが、この単語は同時に「うつ病」の意味をもつ。フランス語の�デプレシィオン�も同様である。これまでつねに世界経済をリードしてきた欧米において「不景気はうつ病である」との認識をもっていることはじつに興味深い。
話を戻そう。世界一の債権国であるわが国が、つまりよその国にもっともお金を貸している日本が、どうしてこんなにも不安におびえているのか。個人金融資産も外貨準備高も潤沢といえるほどあるというのに、なぜ「あつものに懲《こ》りてなますを吹く」ような行動をとるのか。日本が重度のうつ病患者になってしまった真因は、「バブル」といわれるお上《かみ》公認の乱痴気パーティーのときに政治家と官僚が気まぐれに「どうだ、食べないか」と差しだした毒まんじゅうを多くの国民が食べてしまったことによる。平蔵のように「金ずくでまるめこもうとしても……だめだよ」ときっぱり断われなかったのだ。そして、その気まぐれの後始末をやりながら後悔と反省を自閉的に繰り返しているうちに、とうとううつ病を患ってしまったのだ。とはいえ、うつ病は「不治の病」ではない。有効な治療法はいくつか認められている。そのもっとも有効な手だては原因のもとをしっかり断つというものだ。日本の場合はすなわち、政治の信頼を回復することである。毒まんじゅうを国民に食べさせた政治家がいまだにのさばっているようでは、いつまでたっても不況から脱することはできないであろう。壱万円札の収集家になるために政界に就職した自称�政治家�たちの排除なしに、うつ病の克服はないと知るべしである。
† わかったことがもうひとつある。それは、エコノミストと呼ばれている人たちのほとんどが特定の会社や組織に所属しているということだ。とうぜん彼らは所属する会社や組織のことを十分に�考慮�して発言することになる。なかには「言を食《は》むのもいい加減にしてほしい」と文句をつけたくなるような噴飯ものの本もあった。自己顕示欲の発露として�知識人�になっている人がこの世界にはかなりいるようだ。