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鬼平犯科帳の人生論49

时间: 2019-07-30    进入日语论坛
核心提示:● 中庸こそが処世の要諦である[#ここから5字下げ] 平蔵は、老中・松平定信へ、人足寄場《にんそくよせば》設置の建言《け
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 ● 中庸こそが処世の要諦である
 
[#ここから5字下げ]
 平蔵は、老中・松平定信へ、人足寄場《にんそくよせば》設置の建言《けんげん》を何度もおこなったが、幕閣は、はじめ、
「そのような小細工《こざいく》をしても、みちあふれている浮浪の徒を収容しきれるものではない」
 として、平蔵の建言をしりぞけたものであった。
「何をいうことやら……」
 平蔵は苦笑して、
「浮浪の徒と口をきいたこともなく、酒をのみ合うたこともない上《うえ》ツ方《がた》に何がわかろうものか。何事も小から大へひろがる。小を見捨てて大が成ろうか」
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き]「殿《との》さま栄五郎《えいごろう》」
 
 このところ、つまらない日常をなんとかしてドラマチックに仕立てようとして、放埒にふるまうことで自分の�非凡さ�を演出しようとする徒輩《とはい》が目につく。なかには他人を恫喝することでしか自分の�非凡さ�を感じられない下司《げす》もいて、情けないというより不憫《ふびん》である。だいたいにおいてこうした不真面目なことを得意がってやるのは、目方の軽い脳味噌をもった若い男女か、帽子をかぶるだけの頭しかもっていない中年男である。
�非凡�な演技は、一見、颯爽と見えて分《ぶ》がいい。
 だが、よく目を凝らしてみると、滑稽なほどの哀しい姿が透けて見える。とくにコンプレックスが生みだした�非凡さ�は「極端」と「派手」を行動の特徴としており、またおしなべて例外を許さないという硬直性をもっているため、その末路は悲しいほどに哀れなものである。
 ご存じのとおり、鬼平は勘ばたらきによってさまざまな難事件を解決したが、じっくり読み込んでみると、「中庸」というさほど魅力を感じぬ心がけを行動の基本原理に据えていることが見てとれる。
「中庸」といっても、それは物理の�真ん中�を意味するのではない。ここでいう「中庸」とは、ちょうど右に左に調節をとって綱渡りをするときのような、絶えざるバランスの獲得である。
 よく「上手は美技を演じる」というが、その道の玄人《くろうと》にいわせれば、ひと目でわかる美技はこれみよがしで、むしろそこから「気負い」とか「稚拙」といったものを読み取るようである。
 いっぽう、ほんとうに上手の人は美技に美技の表情を与えないので、その出来ばえは、素人の目には「平凡」であると映る。いや、むしろつまらないとさえ感じるかもしれない。しかし、長い目で見れば、「平凡」をせっせとこなし、「中庸」を果敢に貫いた者が、けっきょくは非凡なことを成し遂げているようである。
 処世の道における要諦は、「中庸」にあるのではないのか。
 人生行路の諸事万端では、「平凡」がもっとも信用に足る徳目ではないのか。
 ちょっと見には華々しく映る平蔵の活躍も、じつは地味で目立たぬ行為の積み重ねのうえに成り立っている。
 平蔵の快挙とは、冷静な足どりで世態人情を見つめ歩き、真面目にものごとを考え、仕事に精をだし、親愛なるものを大切にし、つねに決断と覚悟を己れに課してきた「平凡」な人間の、じつに「中庸」といってよい発想を基軸にしている。
 では、目先のことに心を奪われ、非凡と過剰を好み、美技を演じることに腐心する者たちはその先どうなるか。彼らは、自分の隠れた才能に出会うこともなく、やがて周囲から厭きられ、嗤《わら》われ、軽蔑されて、�戦力外�通告をうけるようである。
 
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