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「おれをゆすっているつもりなのか」
「|ゆすり《ヽヽヽ》じゃねえ。かけひきさ」
「なにを……」
「ま、きいてくんねえ。そう、にらむなよ。一度だけだ。今度かぎりのことさ。それにな、お前が手を貸してくれたら。お返しをするぜ、お返しを……縄ぬけの野郎の居処《いどころ》をお前に教えようじゃねえか、どうだ。そうすりゃあ、向うがお前を見つける先に、お前の方から|そっと《ヽヽヽ》出向いて行き、縄ぬけの源七を殺《や》ってしまいねえ。どうだ、え……」
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[#地付き]「密偵《みつてい》」
ときに世間は百鬼夜行で満ちた大きな伏魔殿である。
「アフリカの子どもたちは飢えています」「被災地に義捐金《ぎえんきん》を」──街を歩いていると、こうした募金活動をやっている「いかにも善意の人たち」に出会う。が、聞くところによると、なかにはとんでもなく胡散臭《うさんくさ》い人たちも混じっているという。彼らは募金活動をするだけでなく、もうひとつの商売も同時にやっているのだと。たとえば、どこかで災害が起きたとする。するとすぐに「被災地を救う女たちの会」などというもっともらしい団体をでっちあげ、真面目そうな顔をした中年女性を数人バイトに雇い、幟《のぼり》の下で街頭募金をやらせるのだそうだ。手にするのは多額の現金だけではない。署名もお願いするので、とうぜん募金者の住所や氏名も手に入る。次なるは、それを「名簿屋」へ売りつけるのだ。濡れ手で粟《あわ》とはこのことであろう。これで年間億単位のカネをかせぐ悪党もいるという。……気づかないうちにわたしたちもどこかでこうした詐欺の餌食になっているのかもしれない。
悲しいかな、人生はどうあがいても|かけひき《ヽヽヽヽ》と無関係ではいられない。人間に「かけひきをやめろ」というのは、ボクサーに「パンチをだすな」というようなものだ。二桁の齢を重ねてきた者ならば、こんなことは十分に承知のことであろう。にもかかわらず、わたしたちは人生のきわめて重大な事柄を単純なかけひきによってわりとすんなりと決めてしまうようだ。かけひきでよく使われる手口とはいったいどのようなものなのか。
まずは、相手の自尊心をくすぐって自分に好意を抱かせる。と同時に、自分の欠点やら不利になることを口にして相手のガードをゆるめる(自分をさらけだすことで、相手に「この人は正直者だ」という印象を与えるのだ)。そして頃合いを見計らって、やんわりと法外な要求をつきつける(むろんこのとき、自分だけでなく相手の利益にもなるということを強調する)。しかしながら、相手はこれをすんなりと受け入れない。こちらはとうぜんしょげて見せるものの、譲歩のお伺いを立てることは言い忘れない(このとき相手は、自分を高く買ってもらったうえに譲歩までさせたという心理的な�負い目�から、ちょっとは�お返し�をしなくてはという気持ちになっている)。そこへすかさず、「わかりました。では、これで手を打ちましょう」と、あらかじめ用意しておいた本来の要求をだす。この一連の流れを、相手に考えるスキを与えないようにして遂行するのだ。時間をかけてしまうと、「借りを返さなくては」という心理的な負担が薄らいでしまって、望んだ結果を得られない。……とまあ、まことに単純な手口であるが、頭ではわかっていても、多くの人はこれで手もなくやられてしまう。
舌先三寸のかけひきが蔓延《まんえん》している。好漢、自重されよ。
† 疑り深い人のほうがかえって詐欺にひっかかりやすいものだ。なぜなら、疑り深い人はいったん信用してしまうと、とことん信用してしまうという悪癖をもつからだ。