[#ここから5字下げ]
人びとの中には、蔭へまわって、
「事情はさておき、罪人を逃がした同心が罰をうけぬとは、どうも解《げ》せぬ」
などという者がいたようだ。
それを耳にはさんだとき、平蔵は、
「だれが小柳の|まね《ヽヽ》をしてもかまわぬ。なれど失敗《しくじり》あったときは、腹を切る覚悟でやることだ」
事もなげに、いったという。
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き]「あきれた奴《やつ》」
同心・小柳安五郎は、鹿留《しかどめ》の又八を平蔵に内緒で牢から逃がしてしまった。又八の相棒である盗賊の居どころをつきとめるのがその目的であった。小柳は又八の人柄を見抜いて危険な賭けにでたのである。
うまくいけば又八が相棒をしょっぴいてくるかもしれぬ。が、木乃伊《ミイラ》取りが木乃伊になるやもしれぬ。そうなれば、小柳はみずからの腹を切らねばならぬ。平蔵は、小柳安五郎という男がその覚悟ができていたことを見抜いて温情をかけたのである。
さて、社内でミスが生じたとき、その処理方法は会社によって大きく二つに分けられる。犯人探しに血道をあげ、懲罰委員会やそれに類する集団がやたらと活気づき、責任追及があれこれと考えられ、懲罰が確定した段階で「これでよし」となる会社と、ミスが発生した原因を徹底究明して、その再発の防止に努める会社である。
いうまでもなく前者と後者とでは、会社の将来性において決定的な違いを見せる。
前者の場合、ミスが生じるたびに監視体制はより強固なものになっていく。そうなると、どうなるか。疑心暗鬼が強まり、信頼関係は崩れて、遅かれ早かれ組織は傾いていく。雪辱戦や敗者復活戦のチャンスが与えられることもめったにない。
後者はどうか。ミスを教訓として学び、それをシステムのなかにうまく取り込んでいくため、同じ失敗が繰り返されることは少なく、柔軟性のある組織をつくりあげてゆく。つぶれない会社とは「失敗をさほど嫌がらない会社」でもあるのだ。
極論すれば、そもそも少々のミスごときで、会社が大きく傾くことなどないのだ。
会社がだめになっていく過程とは、小さなミスを大きく騒ぎ立てる狭量の小心者が会社の主流になり、ミスに対する処理の仕方を誤って、個々の人間がそれぞれの能力をじゅうぶんに発揮できない環境をつくってしまうことにある。おっかなびっくりのへっぴり腰で舵をとったのでは、うまくいくものもうまくいかないものなのだ。
小さなミスを許容できるくらいの環境でなければ、独創や才能が顔をだすこともないであろうし、さらにいえば、組織全体がミスを愉快がるくらいの器量がなければ、その先の大きな成功はおぼつかないであろう。
大切なのは、ミスを指弾することではなく、ミスを活かすことなのだ。
ついでに、上司と部下の関係についても触れておこう。
組織の発展に欠かせないのは上司と部下の信頼関係だとよくいわれるが、どういった上司が、部下の信頼を得ることができるのか。それは例外なく、部下のミスを活かすことを考えている上司である。これはもう間違いなくそうである。そして、そうした上司の数が多ければ多いほど、ふくよかな人材が育成され、組織の結束力は強まり、また会社としての品格も備わっていくようだ。