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うすよごれた網代笠《あじろがさ》に深ぶかと面をかくし、墨染めの衣《ころも》に白の脚絆《きやはん》。丸ぐけの石帯という扮装《いでたち》で、旅の老僧に化け、四尺余の竹杖《たけづえ》をつき、とぼとぼと歩む姿を見たなら、妻女の久栄でさえ、これが平蔵とは気がつかなかったろう。
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[#地付き]「雨引《あまびき》の文五郎《ぶんごろう》」
鼻毛が一本でていたからという理由で百年の恋も三秒で冷めたり、つぶれたギョーザみたいな靴(スリッポンのことか?)をデートのときに履いてきたからといって婚約を破棄したという女性たちの話を聞くにつけ、身だしなみや外見はやはり大事なことなんだなあとつくづく思う小生であるが、だらしない、との印象を与える男たちが急増しているのはひどく気にかかる。この数年、服装においても表情においても身のこなしにおいても、だらしない男たちが全国的に増殖しているのは憂うべき事態である。
ドーベルマンとかボクサーといった犬の横に並んだら、「立派さ」の点において明らかに見劣りする貧相な男たち。シベリアン・ハスキーやゴールデン・レトリバーといった犬と比較されたら、「気品」の点において大きく水をあけられるであろう緊張感のない男たち。こんな男たちが、このニッポン、うじゃうじゃいるのだ。
さて、さすがに最近では歌麿の春画や「王将」の文字がついたネクタイをしめているオジサンを見かけなくなったが、「おしゃれ」と「目立つこと」を勘違いしている人は依然として多い。
ある広告会社の重役と食事をしたときのことである。重役氏は一見して高価だとわかるスーツを着ていたのであるが、不躾《ぶしつけ》な視線を放って目を懲らしてみると、なんとネクタイにさまざまなセックスの「体位」が小さくプリントされているではないか。魂消《たまげ》たのはいうまでもない。しばらくして重役氏は上着を脱ぎ、ワイシャツ姿になった。と、こんどはこげ茶色の乳首がワイシャツから透けて見えるではないか。後ろへひっくり返りそうになってしまった。下着をつけていないうえに、ひじょうに薄手のワイシャツを着ていたのだ。オジサンの、四十八手ネクタイとこげ茶色の乳首を見ながらおいしい食事と上等なワインを飲むというのはけっこう辛いものがある。変種の暴力といってもよいであろう。気の弱い人だったら、白目を剥《む》いて失神していたかもしれぬ。
ビジネスにおける身だしなみとは、仕事内容、商談内容に合わせた着こなしができるかどうかである。それは相手の年齢や地位、業務内容や社風までも含んでいる。いずれにしても、第一印象が悪いというのは、仕事をすすめるうえで相当に不利であると自覚しておいたほうがいい。
心得その一──男も女も服を着せてみないと本質がわからない。
心得その二──服装は、心の人相であり、社会人としての覚悟である。
引用部のつづきに触れておこう。変装した平蔵はお熊婆さんの〔笹や〕に入っていき、托鉢《たくはつ》の態でいきなり経文を唱えはじめたのであるが、平蔵と気づかぬお熊婆さんは、「場違いなところへ、面《つら》あだすな」と、すぐさま塩辛声で怒鳴りつけたそうな。なんだかんだいっても、人は予想以上に外見で判断する。
だから、外見のことをもっとよく考えよ。