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「うっかりとはいえぬが、おれは、いささか長官《おかしら》が軽率《けいそつ》だったようにおもうな」
「叱《し》っ……」
同心たちの、ひそひそばなしがはじまった。
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[#地付き]「犬神《いぬがみ》の権三《ごんぞう》」
場所柄や内容を考えずに大声でしゃべる人がひどく苦手だ。ひそひそ話は、ひそひそとやるべきである。
場に応じて声の大きさを調整できない人間は、感性に脂肪がついている、あるいは感性が難聴になっているのではないか。
一年ほど前のこと、都内の静かなレストランで、とある中年男性と食事をしながら仕事の打ち合せをすることになった。ここに何の問題もない。問題は、その人の声量にあった。むやみに声がでかいのだ。とくに感嘆の声が。音量調節のつまみがないのか。騒がしいったらない。そのうえ酒が入るにつれ、どんどんクレッシェンド(徐々に音を大きくしていく演奏)していく。逆に私の声は、恥ずかしさのあまりそれに反比例してどんどんディミヌエンド(徐々に音を小さくしていく演奏)になっていく。
三十分が経過した。小生は吹雪のなかの笠地蔵のようにすでに固まっていた。
すると相手は、私に元気がないと勘違いして、励ますように「いやあ、サトナカさんはこれからの人ですよ」などと大音声《だいおんじよう》をあげるのだ。頭がクラクラしてきた。うるさいバカヤロー。大声をあげて恐慌をきたしそうになる(平蔵なら、太刀風一閃《たちかぜいつせん》、すぐさま彼を静かにさせただろうけど)。
またその折、まだ料理が残っているのに「おさげしてよろしいでしょうか」の言葉も言い終わらぬうちに皿に手をかける躾《しつけ》の悪い若い給仕係が二人もいて、もうその晩は頭に血がのぼりっぱなしであった。
小生、幼い頃から親に、目立つことをするな、地味がいちばん、人の口の端にのぼるようなことをしてはいけない、といわれて育ったためであろうか、大人になったいまでも、はしゃいだ精神とか、でかい態度とか、大きな声がひどく苦手である。
だから新宿歌舞伎町が大嫌いだし、電車に乗るときも騒がしい車両を避けようとする傾向がある。他者への配慮を欠いた大声を聞くのが嫌だからだ。車中であたりを憚らずに「オレさあ、マジで、おまえのこと好きだよ」と携帯電話で大声をあげている男の横などにいたくないのだ。電話の向こうにいる女の子にとっての彼は「世界でいちばん素敵な男性」かもしれないが、小生には「他人の視線に鈍感な不感症男」でしかない(彼にとっての他人とは風景なのである)。
おそらく彼には、恐れたり敬ったりする具体的な対象が身近にないのであろう。人間は畏怖する存在がないと、謙虚さまでも失ってしまうようだ。
最近、若者たちが「いちばん大切なのは感性」といっているのを耳にするが、彼らのいっている感性とは、しょせんは自分中心の感性ではないのか。自分の感性には敏感であっても、他人の感性にはとことん鈍感なのだ。
マナーとは相手の気持ちを思いやる作法である。マナーを踏まえぬ、廉恥心を欠いた感性なんか、とっとと犬に喰われてしまえ。