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平蔵は苦笑と共に自宅へ入り、自分とお園との関係を久栄《ひさえ》のみに打ちあけ、
「よいか、たのんだぞ」
「はい。なれど、これより、どうなされまする?」
「あの女に打ちあけたがよいか、どうじゃ。あの女……いや、妹は、おのれの父に死別をしたとおもっている。ま、おれの父上とも死別は死別だが……」
「はあ……」
「あれで父上も、隅におけぬお方であったな。うふ、ふふ……」
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[#地付き]「隠《かく》し子《ご》」
平蔵の亡き父に、隠し子がいることが発覚した。
平蔵に腹ちがいの妹がいるのだと。
寝耳に水とは、まさにこのことであった。
まさか謹直なあの父が隠し子をつくっていようとは……。
さて、どうしたものか。
けっきょく平蔵はこのことを妻の久栄には伝えはしたが、同心をはじめとする周囲の者にはいっさい洩らさなかった。妹本人にさえも。つまり、妻以外の人間にはすべて秘密にしてしまったというわけだ。
池波正太郎はのちにあるインタビューでこの一件に触れ、次のように語っている。
「こわいのは、言ったことによって、その腹ちがいの妹のお園の人柄が変るかもしれないってことなんだよ。すべてそうよ、物ごとはね。秘密を言ったがために、その言った相手が変ることが、いいことか悪いことかということだよ。そのことを考えなきゃいけないんだよ」(『新 私の歳月』講談社文庫)
たとえ真実であっても、秘密をいったがために関係がぎくしゃくしてしまうことがある。そんなふうになったら元も子もないではないか。秘密を洩らす人間は、すべからくこのことを考慮に入れなくてはならない。これが池波正太郎の考えだ。
また、こうも述べている。
「人間とか人生の味わいというものは、理屈では決められない中間色にあるんだ。つまり白と黒の間の取りなしに」(『男の作法』新潮文庫)
含蓄深甚。
それまで平蔵とお園は�他人どうし�であった。その二人がある日をさかいに身内になればどうなるか。とうぜん必要以上に気を遣うことになる。双方が互いの背負っている人生など忘れて、それこそ一途《いちず》になって兄と妹の関係をつくろうとしたらどうであろう。これではかえって関係をぎくしゃくさせてしまうことにもなりかねない。そう考えたというのである。
塩梅という言葉をご存じか。
むかしは「えんばい」といっていたが、いまでは「あんばい」という。塩と梅酢で料理の味加減をすることから、「ものごとのほどあい」をあらわすようになった。これを人と人との関係にあてはめた場合、相手の心のありようにまで心をくばるのが塩梅となる。
秘密を打ち明けることで、互いが強い絆で結ばれようとして塩をまぶしすぎたり梅酢をかけすぎたりしては元も子もない。加減して調《ととの》えてゆくのが塩梅というものだ。平蔵はこう考えて、二人の仲を秘密にしてしまったというわけだ。
読者諸賢よ、あなたは平蔵のこの匙《さじ》加減をどう見る。