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「わしが生甲斐《いきがい》は、女だけじゃ」
と、みずからいうだけあって、行く先々に妾を囲っている。自分の物になった盗んだ金を瀬兵衛はほとんど女につかい果してしまうらしい。
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[#地付き]「浅草《あさくさ》・鳥越橋《とりごえばし》」
中年男ばかり四人で、女の話をした。うちのひとりが、男から見た女は二種類にしか分けられないとおごそかに断言した。いわく、「食指のうごく女」と「食指のうごかぬ女」であると。一同、おごそかに沈黙し、一拍《いつぱく》おいて、大きく頷いた。
男はおおかた、そんなふうに女を見ているのである。女たちよ、「ぼくには、いわゆるアリエール・パンセ(フランス語で下心をこういう)はないから」などといわれても信用してはいけない。男というのはどんなに紳士を装っても、好みの女性を前にしたら、真心の下位にある下心のカタマリだと思っておいたほうがいい。だから、ふつうでは考えられないようなことを平気でやってしまう。
バタイユという思想家によれば、男のエロティシズムは、いわば禁止されたものとしての美(=女性)を侵犯してわがものにするということにあるのだそうだ。また、プラトンの『パイドロス』を読めば、恋愛における欲望にはかならず狂気じみたものが漂っていることがわかる。さらに、不肖小生によれば、恋愛とは非会計学的なエゴイスティックな行為、ということになる。以上を総合すると、こと恋愛に関するかぎり、男はとにかく「狂う」ようである。時間と金銭の感覚をみずからの手で麻痺させ、あげく好かれたいと思うあまり、美しい心で醜いことをしてしまう。で、狂ったあげく、おおかたは失敗する。
が、「女たらし」の異名をとる男たちはちがう。彼らはあくまで冷静なのだ。
小生の見るところ、女たらしはおしなべて淋しがり屋であり、女の話をよく聞く男である。きみがいないと淋しくて生きていけないという素振りを見せ、くだらない話でも熱心に耳を傾ける。そして、褒めることを忘れない。嫌味や皮肉の言葉は忘れても思いやりは忘れない。難癖をつけることは忘れても海容は忘れない。年齢《とし》は忘れても誕生日は忘れない……。彼らはこうしたことを「食指のうごいた女」であれば、どの女に対してもやってのけるのだ。これを冷静といわずに何といおう。
ある女たらしに「女を誘惑するもっとも有効な手立ては何でしょう?」と問うたところ、「そりゃあ、カネだよ」と言下にいったものだ。「カネのないやつは、そうだなあ、女に惚れないことかな。とにかくさ、こちらから好きだといわないことだよ」
名うての女たらしは、きれいな声でこう言い放ったのである(女たらしはまた美声である。顔の造作は悪いのはいても、どういうわけか、どの男も美しい声の持ち主なのだ)。
恋愛は惚れたほうが負け。岡惚れしたらおしまい。惚れたが最後、あとは無明長夜《むみようちようや》の悶々たる日々が待っているのだという。恋愛は戦い、女は戦利品だと。女たらしは、自分に好意を寄せてくれる相手には半ば気のない素振りを見せてちょっぴり残酷に対応することで、すべての恋をぎりぎり持続させている。
恋に勝利する秘法は、惚れないことと見つけたり。求めるな、さらば与えられん。でも小生は、彼らがうらやましくない。