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「佐嶋。その井筒屋へ、だれか一人、泊り込ませたらよいとおもうがどうじゃ?」
「はい。結構に存じまする」
「だれがよい?」
「さて……」
「忠吾《うさぎ》はどうじゃ?」
「あ……打ってつけでございますな」
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[#地付き]「影法師《かげぼうし》」
平蔵が、与力の佐嶋忠介に相談をもちかけているという、何の変哲《へんてつ》もない場面である。が、浅く読んではいけない。
平蔵はすでにもう人事を決めているにもかかわらず、筆頭与力の佐嶋に�相談�をもちかけているのだ。そして、老巧・佐嶋もそれがわかっているから、「打ってつけでございますな」というドンピシャリな相づちをうっている。
平蔵の補佐役・佐嶋忠介は、平蔵よりも年長の硬骨漢である。つまり佐嶋は年下の上司についたわけであるが、二人が生きた時代は身分がすべてであり、年齢や能力の違いなど、身分のまえにあっては何の意味もなかった。
したがって、上に立つ者は、気遣いに何の工夫をせずとも、部下を服従させることができたのである。
ところが平蔵は人間の機微につうじていたので、年長の部下を粗末に遇することをしなかったし、それをよく知る佐嶋も年少の上司を蔭で小馬鹿にするようなことはいっさい口にしなかった。というより、互いが互いに尊敬の念を抱いていた。
平蔵は佐嶋のことを、
「おれの呼吸をのみこんでくれているものは、ほかにおらぬ」
と思い、佐嶋は佐嶋で、平蔵の魅力を、
「いやもう、今晩一晩かかっても、語りきれぬわ」
と洩《も》らしている。
どうして平蔵と佐嶋はこのような信頼関係を築くことができたのか。
大げさに聞こえるかもしれないが、それは平蔵も佐嶋も、互いが有能であるのを認めつつも、全能ではないということを知っていたからである。
いうまでもないことだが、どんなに知識がある人間でも、すべてのことに精通しているわけではない。よくわからない分野や不明な領域がかならずある。
が、ともすると大きな権力をもつ人間は、自分が全能であるかのように思い込みたがり、その肥大化したイメージに心地よくつつまれたいと願うものだ。
しかし、有能なる人物は、ひとりの人間の能力には限界があり、ましてや自分が全能であるとも思っていないから、周囲の者たちの知恵ある言葉や価値ある情報に耳を傾けようとする。つまり、他人の頭脳を自分のものとして活用しようとするのだ。
そのときに芽生えるのが、人間の、人間に対する謙虚な気持ちである。
尋ねられたら、謙虚な気持ちで(場合によっては恥じらいをもって)教えてあげる。
尋ねたら、感謝の気持ちをもって(場合によっては批評精神をもって)耳を傾ける。
交友の愉悦は知恵のひらめきを互いに感得するところに浮きあがる。そうしたことの積み重ねがやがて信頼関係となって実を結んでいくのだ。